RFLと共に10年!

2015年06月25日(木)

今回は静岡からの発信です。リレー・フォー・ライフと出会って今年で10年になるという方から
寄稿していただきました。

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「RFLJ2014静岡」。後片付けがすんだ後ホッと一息、心強い赤の同志!
今年は新しい仲間もたくさん増え、「いのちいっぱい今を輝け」活動中です。

私がリレー・フォー・ライフ(以下RFL)に出会ったのは2005年新緑の頃。当時34歳の息子が大腸がん手術を受け、抗がん剤治療に入ろうとしていた矢先でした。
その時はまさか、専業主婦の自分が家事を二の次にしてまで、RFL活動優先の生活が始まろうとは夢にも思いませんでした。しかも10年も… 多分この先も…?

当時、ステージⅢbのがん告知を受けた息子は、何を思ったかネットの世界に入り込み、ブログを立ち上げ、一度も会ったことや話したことのない人たちからの温かい応援メッセージを受けたのを励みに、がんと闘う勇気・希望・力をいただき手術に臨みました。
家族のどんな言葉よりも、ネットで繋がった同じ病で闘っている彼等の強いパワーが、自分への自信にもなったようです。 

内緒で息子のブログを毎日覗いていくうちに、いつしか肺がんと闘っているひとりの男性のブログも見るように。そして、時々、コメントを入れるようになりました。その人というのは、RFLに関わっている方ならご存知だと思います。通称シュウさんこと三浦秀昭さんです。
その彼と、「できることからコツコツと」を合言葉に、同じ志を持つ仲間として長いお付き合いが始まろうとは、この時には予測できないことでした。

シュウさんがアメリカのRFLを知ったのは、大阪で開催された第1回がん患者大集会に参加され、休憩中に流されたビデオを見た時でした。私もその集会の模様はNHKの中継で見ていました。RFLの映像が流れてきた時の感動、衝撃は、10年たった今でも鮮明に覚えています。

背中に「I’m a survivor」と書かれた紫のTシャツを着た人たちが、笑顔でそれも誇らしげにグラウンドを歩き、その人たちを拍手と笑顔で迎える人々を見た時、がん患者が何故、臆することなく堂々と笑顔で歩けるのか? しかも、大勢の人がいる前を!

そして、がんに罹った家族や友人を支え、その支援に繋がる寄付金を集め、思いを共有している人々の姿は、日本のがん患者を取り巻く環境とは、まるで別世界のようで感動しました。
アメリカと日本のがんに対する人々の認識の違いに驚くと同時に、患者が笑顔で参加できるRFLのようなイベントが日本にもあったら…と心底思いました。

それから間もなく、シュウさんがブログを通し、「生きる希望を皆の手で」と声を挙げ、RFLを日本で開催しようと呼びかけました。年甲斐もなく、もちろん私もすぐに手を挙げました。
時間も場所も超え彼のブログには、当時、がんと闘っている若い世代が広く集まり、日本のがん医療への強いメッセージが寄せられ、9月には、新横浜で初顔合わせの会合が開催されました。

テレビで何度かシュウさんを拝見していましたが、実際お会いするのは初めてですし、他の方たちとはネットの会話だけ。難しい話にはついて行けない田舎のおばさんが、果たして、若い人と一緒にやっていけるのか、不安でいっぱいでした。

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「2006RFLつくば」。試行錯誤の末に考えられた日本初のルミナリエです。
グラウンドに並べられていた明かりを全てステージ前に集めて、閉会式が始まりました。

でも、その日集まった人たちを本名ではなく、ネットで使用しているハンドルネームで呼び合うのが、日常の会話と違って面白く、すぐに打ち解けることができました。ここで同じ目標を持った仲間に出会えたことが、今、リレー活動をしている私の原点です。

こうしてスタートした戦略事業部(CPSP)は、理想派シュウさんと現実派葉っぱさんの両輪を軸に、「今、自分が動かなければ何も始まらない、自分がやらなければ誰も動かない!」と、熱い思いを持った若者たちが深夜までネット作業を続け、素人のボランティアの集まりが、2006年4月、「RFL日本版を考える会」を新横浜青葉公会堂で開催するまでになりました。

私も生まれて初めてパネリストとして参加し、息子がお世話になった病院の「よろず相談」について話しました。今では当たり前のようにがん拠点病院にある「相談窓口」ですが、その頃の静岡県立がんセンターの取り組みは、患者さんにとっては理想の病院に近いものがあったように思います。 

その年の9月には、日本初のRFLがつくばで開催され、ネットで繋がっていた多くの人たちと初めて顔を合わせました。ネーム入りのスタッフTシャツを手にした瞬間、今までにない何かが始まる予感に興奮を抑えきれませんでした。
又、チーム「がんでもいいじゃん♪」に入れていただき、今では、日本各地の会場で見られる大きな黄色いフラッグを初めて見たのもこの日でした。

日本初のサバイバーズラップが始まった時は、TVの前でただ見ていた時とは違い、今度は自分がフラッグを持って歩いている人たちに何度も走り寄り、大きな拍手と声援を送っていました。ルミナリエが灯る夕刻、汗水流して「HOPE」の文字を制作したスタッフのご苦労や、キャンドルに灯るメッセージを読んでいるうちに熱い思いが込みあげ、8時間があっという間に経ってしまいました。

この日から始まったともいえる日本のリレー・フォー・ライフにスタッフ参加できたことは、この上ない喜びを感じるとともに、僅か1年の間に、リレー活動で親しくなった3人の若い友が卒業してしまい、手渡されたバトンを繋いでいく使命(大げさですが)を受け継いだようにも思います。

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「RFL 2009with富士山」(御殿場陸上競技場)雨の中に灯るルミナリエが幻想的でした。

雨に打たれて消えたキャンドルに灯りを点すボランティアの学生には、頭が下がりました。

以来、各地のRFLにチーム参加しながら、地元静岡での開催を目指しました。
先ず初めに、地元静岡での開催を考えた時、バックアップも何もない一介の主婦が真っ先に相談に乗ってもらったのが、「よろず相談」担当の高田さんです。彼女の協力と、つくばからの仲間たちのサポート、地元静岡の新しい仲間の力で、【静岡リレー・フォー・ライフを広める会】を立ち上げ、少しずつRFLの基盤を築きました。

それから半年後、RFL静岡実行委員会を発足させ「RFL2009 with富士山」を御殿場で開催。大雨の中、つくばからの多くの仲間がチーム参加してくださり、ここでも、リレー仲間の繋がりを強く感じ、いつどこで出逢っても、笑顔で迎えてくれる友人がいることが何よりも嬉しいです。

有難いことに、リレー活動を始めた時から人に恵まれ助けられ、根が楽天的なこともあり、苦労という苦労をしないで、今日までやってこられました。この10年を振り返ってみると、私が巻き込んだ周囲の人々の方がご苦労されたのではないかと、今になって思えます。

天然な私にあきれることなくお付き合いいただいている静岡の核を担っているスタッフたちとは、かれこれ7年以上一緒にボランティアしています。彼らの活動のお陰で、今年も、10名以上の新しいスタッフが仲間入りしました。9月12日の開催に向け、出来ることからコツコツとやっていきたいと思います。

ご縁をいただいたたくさんの方々に、心より感謝しお礼を申し上げます。又、この機会にいつも見守ってくれている家族にも、ありがとうを伝えたいと思います。

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プロフィール
神波やす江
静岡県富士市在住 67歳
2005年、息子がサバイバーになった後、
RFLを知り、以来、活動を続けている。
2006年 プレRFLつくば実行委員 啓発担当
2007年12月~2008年9月 静岡RFLを広げる会事務局長
2008年9月~2010年12月 静岡実行委員会事務局長
2011年4月~2012年7月 静岡RFLを広げる会事務局長
2012年7月~2015年現在 静岡実行委員会事務局長

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