リレー・フォー・ライフ・ジャパン広島

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2020年02月19日

がん友のエッセイ

  「細い糸」が束になった支援を

 「えっ!どうしよう」朝食を取りながらTVを見ていると「山陽自動車道は事故のため不通」というテロップが流れる。今日二月一日は講演会参加のため、リードライナーで広島へ行く予定。「しょうがない、交通費は高くなるがJRで行くしかないな」
 「生き直したい 服役十一回・更生の支え(ドキュメント上映と監督 長塚洋さんの話)」が県立美術館で始まった。「あっ、そうなのだ」司会者の話を聞いていて思った。演題からして、どんな人が出てくるのかと思ったが、ドキュメントは「下関放火事件」の福田さんと彼を支援する奥田さん・npo法人抱撲(ほうぼく)の話。
 「下関放火事件」とは、二千六年一月七日午前一時五十分出火。木造建ての三〇〇〇㎡全焼。「行くところがない。早く刑務所に戻りたい」という理由で福田さんが放火。
 「あっ、そうなのだ」と思ったのは、昨年同じ主催者が開催した講演会で購入した冊子「共に生きる
社会のために」の中で取り上げてあったから。ところでドキュメントはインターネット(ユーチューブ)でも見ることが可能なので、内容の紹介は省略し、監督そして奥田さんの奥様の話を記してみたい。まずは監督から。

 罪を犯した人が主人公として登場するドキュメント、観客にどう受け入れられるかといつもドキドキしながら一緒に観ています。残念ながら本人は体調不良で今日広島へ来ることができませんでした。そこで他の会場向けですが、彼のインタビュー映像をまずは流します。
「今回のように娑婆に長く居ることは初ですね」
「奥田さんの引き受けがあるから長く居られる。デイサービスは楽しい」
「死刑について考えたことはなかったの?」
「放火して、人が死ねば死刑になると知っていたが、考えられなかった。やめられなかった。早く刑務所に戻りたかった。他に選択肢はなかった。刑務所に何回も入っていれば、何をすればどれだけの刑になるかは、ほぼわかっていた」(以上が映像)
 ところでなぜ福田さんに関心を持ったのか。私は三〇歳代のころ、事件報道をやっていた。だけど、当事者や家族はその後どうしているか、社会は知らないし、関心がない。それでいいのか。
 そんな時、彼が「下関放火事件」を起こした。当時、生活保護が厳しくなり、切り捨てられる人がいた。そういう状況でも「福田さんの引受人になる」と言っている牧師がいると知った。本当に立ち直れるのか。どんな支援をしようというのか。「一〇年後に撮らせてください」とお願いした。実現しました。「服役一一回」と聞けば「どんな凶暴な人か」と思う人もいるだろうが、福田さんは小柄で気の弱そうな人。笑顔がかわいい。このギャップが関心を呼ぶのではという思いもあった。
 犯罪を行った人のことを私たちはわかっていない。多くの人に取り、犯罪者は顔の見えない人。私がしたことはその人たちにも顔があるということ、それを伝えていきたい。引き受け手があるからこの番組が成立した。皆さんが関心を持たなかったら当事者は更生できない。
 次に奥田牧師の奥様のお話。

 夫が引受人になるといったとき、家族には何の話もなく、新聞で知りました。ケア会議等受け入れるにあたっての話し合いで「放火癖は治りませんよ」という専門家もいたが、「やるっきゃない」と思いました。
 私のカバンを福田さんが無断でのぞいた時、注意したら家出。一生懸命探し、見つけ「どんなことがあっても見放さない。受け入れる」と伝える。
 「生き直したい」と思ったとき、どんな人でも誰でも生き直すことができます。レッテルを張らず、手伝う人がいれば。たくさんの人がほんのちょっとずつ手伝うことができたら。(細い糸が束になった)
 許し、許されることにより、社会は暖かくなるのでは。何回でも生き直すことができる社会になれば。

 意義ある講演会であった。帰りだが、経費節約と思いリードライナーで道の駅まで帰ったのはよいが、いつものようにカブあるいは自転車がないので余韻に浸りながら夜道を徒歩で帰った。