【タテの糸、ヨコの糸】 キャンドル・ラン

2017年9月20日 10:15 PM

2007年、日本で初めて夜を越える正式なリレー・フォー・ライフとして開催されたリレー・フォー・ライフ・ジャパン芦屋。  
 
サバイバーのみなさんが夜を越えて歩くのは大変だろう、参加者みんなでつなぐシンボルたすきを  
どうやったらまわし続けることができるだろう・・・。  
 
そんななかで出てきたアイデアが、キャンドル・ランでした。  
夜は参加するチームや個人の方にシンボルたすきをつないでいただく。  
 
クラット医師の想いを継いだこの企画は、芦屋の名物となりました。  
 
それでも、この歴史を継ぐことは簡単ではありませんでした。  
 
開催地の拡大に伴う参加者の減少。スタッフの入れ替わりと減少。  
 
数年前から、戦略的な広報やアプローチ、宣伝活動をする中で、再び少しずつ賑やかさを取り戻しました。  
 
そして、今年はとても賑やかなキャンドル・ランとなりました。  
(2017のキャンドル・ランの結果については、コチラもご覧ください)  
 
でも、その準備は大変です。計測業者さんとの打ち合わせ、さまざまなエントリー方法からの集計と参加者リストの作成。  
 
当日、夜中には、恒例となった”シンボルたすきはどこ?”大会となりました。  
 
当日の記録の掲示、夜中の大逆転、ゴールしたタイミングで正しく計測器を止めるために最終ランナーさんを確認。  
 
最終リザルトを、感謝状作成のために手早く運んだり、受付に募金用のリザルトを手渡したり・・・  
それらを間違いなく、やりきらないといけません。  
 
事前に、用意周到に計画しても、思っても見なかったことが起こります。  
 
あえて、紹介させてください。今年のこんな舞台裏を支えたのはこの2人。  
 
 
 
実はギャングでカープ女子のゆーかさん(写真左:誰か正面から撮れている写真があればご提供を!)はルミナリエと兼務、”芦屋の緻密なコンピューター”笹井さんは当日の設営からウォークに至るまで、細やかに目配りをしながら走り回っていました。  
 
2人の姿を目撃した人は、案外少なかったかもしれませんね、それほどまでに、イベント前、イベント中、会場のあちらこちらを走り回っていました。  
 
この2人の現場力、そしてスタッフで密に連携を取れたからこそ、今年のキャンドル・ランは素敵なゴールを迎えました。  
 
昨年の反省を踏まえて取り組んだつもりですが、参加者の皆さんにとっては、多くの課題が目に付いたかもしれません。  
それについては、ぜひご意見として寄せてくださいね。きっと活かされるはずです。