【The Stories of ASHIYA】彼との約束

2019年2月28日 9:30 PM

 
 
 
「主人は今月を越えられないかもしれません・・・」  
 
電話口で、彼の奥さまは静かにそう言いました。  
 
私には、すぐに浮かぶ気の利いた言葉はもうありませんでした。  
 
 
 
 
 
3年近くに及ぶ白血病の闘病生活。  
 
めずらしい型だと医師に告げられ、試す抗がん剤もなかなか当たらなかったと聞きました。  
 
38歳。週末はご長男とサッカーをするのが楽しみで、アウトドアが大好きな活発な彼でした。  
 
ご長女が生まれながらにして障がいを持つ中で、それでもいつもにこやかで、彼の笑顔が一家を照らしていました。  
 
だんだん細る体力。奥さまはときどき、息をつまらせながら、私に経過を報告してくれました。  
 
私は、いろいろな情報を調べつつも、力を落とす彼女を励ますしかできませんでした。  
 
 
 
 
 
「主人の親や弟と連絡が取れたんです!」  
 
落ち込んでいた奥さまからそんな電話があったのは闘病生活から10ヶ月ほどがたったころでした。  
 
ご家庭の事情から、ご主人は実のお父さま、ご兄弟と連絡がとれずにいたのです。奥さまが方々を当たり、やっと連絡が取れたというのです。  
 
「骨髄移植の道が開けるかもしれない・・・」  
 
しかしながら、その希望は逆に絶望をもたらしました。お父さまも、弟さんも駆けつけてくれたそうなのですが、骨髄の型が合わなかったのだそうです。リスクが多すぎる・・・。  
 
それからの日々、時間との闘いでした。電話が鳴るたび、嫌な報告ではないかと、いつもどきどきしながら電話を取っていました。  
 
 
 
 
 
「半分ですが、型のあうドナーの方がいたんです!」  
 
それは、とつぜん訪れた希望でした。おそらく最後の希望。  
 
手術は、成功しました。  
 
 
 
数ヶ月がたち、ある日、ご主人から電話がありました。  
 
「ライフプランをたてたいのです。手伝ってもらえませんか?自分でもやってみたのですが、やっぱりプロの目でみていただきたい、と。お願いします。」  
 
私はすぐにご夫婦のもとに伺いました。  
 
「ライフプランなんですが、これから子供の成長に合わせてお金を貯めたいのと・・・・再発した場合にそなえた資金準備と・・・それと・・・万一私が亡くなった場合でも、子供が大きくなるまでちゃんと暮らしていけるように、妻が今と同じように暮らしていけるように・・・そこまで考えたいのですが、お手伝いいただけますか?」  
 
ご夫婦の住む埼玉に1ヶ月おきに通いました。ご主人は定期的な検査のために入院し、経過は順調のように見えました。体重もだいぶ戻り、ライフプランを考えることは、希望を感じながらの作業となっていきました。  
 
「次回の検査入院で結果がよければ、再発防止のためのあたらしい工程に入れるんだそうです。」  
 
「そうなんですね!では、その検査入院の後、12月にお会いしましょう! 退院したら、日程を調整しましょうね。」  
 
 
 
退院予定日直後、いつもならすぐにかかってくる電話は、かかってきませんでした。  
 
2週間後、奥さまから電話がありました。  
 
「主人の血液から、がんが見つかりました・・・。」  
 
かかってきたのは、再発を告げる電話でした。奥さまはこの数日、どんな想いでおられたのが、考えるだけで涙がとまりませんでした。  
 
 
 
 
 
「主人は今月を越えられないかもしれません・・・」  
 
2月の真ん中のことでした。  
 
「お会いしに病院に伺ってもよいですか?」」  
 
奥さまは、もちろん、といってくれました。都内の病院にうかがったとき、奥さまの姿はありませんでした。  
 
 
 
彼は、病室のベッドから、満面のいつもの人懐っこい笑顔で私を迎えてくれました。  
 
「ごめんね、チューブがつながっているので、これ以上起き上がれないのです。」  
 
私はうなづくと、ベッドの傍らに座りました。  
 
「信じられないでしょ? でも、僕は来週には、もうこの世にはいないんです。」  
 
私は、うなづくことしかできませんでした。  
 
「僕はね・・・素敵な妻、可愛い子ども、本当にたくさんのものをもらって、全力でやってきて、幸せだったぁ・・・だから何の後悔もないんけれど、悔いがある。。。妻や子供もたちを遺していかないといけないことへの悔いが。。。」  
 
「ひとつお願いがあるんです。以前、うちに来てくれて、途中になってしまったライフプラン、、、僕が亡くなった後でも、妻と一緒に続きをやっていただけますか?」  
 
彼は、いつもの笑顔で、涙を流しながらそう言いました。  
 
「はい、約束しますね。でも、そのときは、どんなカタチでもいいから、あなたも参加してくださいね!」  
 
私にできる唯一の約束。涙をこらえることが、もうできませんでした。  
 
 
「妻には言えないこと、あなたには言ってもいいですか・・・?  
再発を告げられたとき、ごめんなさい、気持ちが折れてしまった。もう、がんばれないと思った。疲れました・・・。」  
 
私は、ただ黙って、手を握りました。  
 
 
 
奥さまからご主人が亡くなったとの電話をいただいたのは、それから3日目のことでした。  
 
彼の遺影の前で手を合わせながら、数日前の約束と笑顔を思い出していました。  
 
 
 
9月、芦屋の会場には、その後、奥さまとした作業のこと、これからの誓いを書いたルミナリエと、奥さまから預かったルミナリエが並べられました。  
 
願いを照らす優しい灯り。。。  
 
それは、きっと今も奥さまや子供さんたちを優しく見守る笑顔の灯りなのだと、私は願いました。  
 
 
 
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