【The Stories of ASHIYA】 私の歌声は届きましたか・・・?
「リレー・フォー・ライフのステージで参加者の心に届く歌を、歌ってもらえませんか?」
相当以前から知っているこの人は、笑いながら、でも真剣に私に頼んできた。
そう、この人に言われたらなんとなく断れない。
でも、今回の話を受けようと思ったのは、ただそれだけではない。
私にはなんとなくわかっていた。
私の心にずっと消えない想いがあったからだ。
数年前、父はがんを宣告された。
いや、正確には父が宣告されたのではない。私たち家族が宣告を受けた。
いろいろな想いを抱いてしまう父ではあったが、私にはとても大切な人だった。
強くて、大きな背中の父。ずっとそうだった。
がん、を宣告されて、ふと見た父の背中は、なにげに小さく見えた。
父に知られないところで、どうしようか、と家族でなんども話をした。
答えはでなかった。
いきなり末期を告げられたのだ。
いつも強くふるまっている父。いったいどう言えばいいというのか。
そうしているうちに父は、肺の状況がわるくなり入院を強いられることになる。
それでも、私たちは言えなかった。
可能な限り進行を遅らせ、痛みを和らげ・・・
父はきっとわかっていただろう。
それでも私たちは言わなかった。いや言えなかった。
父にはずっと強くいてほしい、たぶん、そんな想いが当時あった。
ひょっとしたらもっと抗う方法はあったのかもしれない。
でも、私たちは、とうとう最期まで父になにもできなかった。
「なにもできなかったんじゃない、仕方なかったんだよ」
そんな周りの言葉に、ずいぶん助けられたりはした。ずっとそう思っていた。
9月のあの日、ステージリハーサルを終えて、私は“がん体験者の語り”に参加した。
少し前、一歩歩き出すことをためらい、自分の気持ちに整理がつかなかった方が、
ここまで過ごしてきた時間のことをお話してくれた。
私だけじゃなかった。。。
薄暮のセレモニーで、私は仲間と一緒に、サバイバーさんやケアギバーさんがたくさん集まるステージの上で、心を込めて歌った。
いつものステージとは違う、届いているのか、届いていないのか微妙にわからない空間の中で、それでも私は精一杯歌ってみた。
精一杯、そう、精一杯。きっとあの時の私はそうだった。
そして、、、父も精一杯生きたのだ。
あの時の選択、なにもしなかったこと。
ずっとそのことを悔いてきた。
それでも父は父の時間を全うし、私もめちゃくちゃかもしれないけれど、それからの時間を生きてきた。
ステージが終わった後、キャンドルライトのセレモニーがクライマックスを迎え、私はそっとキャンドルを置いた。
セレモニーに参加されたみんながキャンドルで作るHOPEの文字。
私はあなたの自慢の娘だったかどうかはわからないけれど、私にとってあなたはとても強くて優しいお父さん。
そして私は、あの時間を父と過ごし、そして今を自分なりに懸命に生きている・・・。
あの時告げられなかったこと、たくさんの想いが静かに流れて、胸の奥にずっとつかえていたものがキャンドルを置くと同時に、すーっと消えていったような気がした。
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”あなたもキャンドルライトセレモニーに参加してみませんか?”
詳しくは、コチラ をご覧ください。
そして、まだ気持ちに折り合いの付きにくい方、ご自身の気持ちとうまく向き合えない方、0.5歩踏み出すことにためらいのある方、ぜひ、リレー・フォー・ライフ・ジャパン2019芦屋のプレイベント”がん体験者の語り”、にお越しください。
詳細は、順次ホームページで発信していきます。
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