【The Stories of ASHIYA】 私の歌声は届きましたか・・・?

2019年7月19日 8:51 PM

 
 
 
「リレー・フォー・ライフのステージで参加者の心に届く歌を、歌ってもらえませんか?」  
 
相当以前から知っているこの人は、笑いながら、でも真剣に私に頼んできた。  
 
そう、この人に言われたらなんとなく断れない。  
 
でも、今回の話を受けようと思ったのは、ただそれだけではない。  
 
私にはなんとなくわかっていた。  
 
私の心にずっと消えない想いがあったからだ。  
 
 
 
 
 
数年前、父はがんを宣告された。  
 
いや、正確には父が宣告されたのではない。私たち家族が宣告を受けた。  
 
いろいろな想いを抱いてしまう父ではあったが、私にはとても大切な人だった。  
 
強くて、大きな背中の父。ずっとそうだった。  
 
 
がん、を宣告されて、ふと見た父の背中は、なにげに小さく見えた。  
 
父に知られないところで、どうしようか、と家族でなんども話をした。  
 
答えはでなかった。  
 
いきなり末期を告げられたのだ。  
 
いつも強くふるまっている父。いったいどう言えばいいというのか。  
 
 
 
 
そうしているうちに父は、肺の状況がわるくなり入院を強いられることになる。  
 
それでも、私たちは言えなかった。  
 
可能な限り進行を遅らせ、痛みを和らげ・・・  
 
 
 
父はきっとわかっていただろう。  
 
それでも私たちは言わなかった。いや言えなかった。  
 
父にはずっと強くいてほしい、たぶん、そんな想いが当時あった。  
 
 
ひょっとしたらもっと抗う方法はあったのかもしれない。  
 
でも、私たちは、とうとう最期まで父になにもできなかった。  
 
 
 
 
 
「なにもできなかったんじゃない、仕方なかったんだよ」  
 
そんな周りの言葉に、ずいぶん助けられたりはした。ずっとそう思っていた。  
 
 
9月のあの日、ステージリハーサルを終えて、私は“がん体験者の語り”に参加した。 
少し前、一歩歩き出すことをためらい、自分の気持ちに整理がつかなかった方が、 
ここまで過ごしてきた時間のことをお話してくれた。  
 
 
私だけじゃなかった。。。  
 
 
 
薄暮のセレモニーで、私は仲間と一緒に、サバイバーさんやケアギバーさんがたくさん集まるステージの上で、心を込めて歌った。  
 
いつものステージとは違う、届いているのか、届いていないのか微妙にわからない空間の中で、それでも私は精一杯歌ってみた。  
 
精一杯、そう、精一杯。きっとあの時の私はそうだった。 
そして、、、父も精一杯生きたのだ。  
 
 
 
 
 
あの時の選択、なにもしなかったこと。 
ずっとそのことを悔いてきた。  
 
 
それでも父は父の時間を全うし、私もめちゃくちゃかもしれないけれど、それからの時間を生きてきた。  
 
ステージが終わった後、キャンドルライトのセレモニーがクライマックスを迎え、私はそっとキャンドルを置いた。  
 
セレモニーに参加されたみんながキャンドルで作るHOPEの文字。  
 
 
 
 
 
私はあなたの自慢の娘だったかどうかはわからないけれど、私にとってあなたはとても強くて優しいお父さん。 
そして私は、あの時間を父と過ごし、そして今を自分なりに懸命に生きている・・・。  
 
 
あの時告げられなかったこと、たくさんの想いが静かに流れて、胸の奥にずっとつかえていたものがキャンドルを置くと同時に、すーっと消えていったような気がした。  
 
 
 
****************************************  
 
”あなたもキャンドルライトセレモニーに参加してみませんか?”  
詳しくは、コチラ をご覧ください。  
 
そして、まだ気持ちに折り合いの付きにくい方、ご自身の気持ちとうまく向き合えない方、0.5歩踏み出すことにためらいのある方、ぜひ、リレー・フォー・ライフ・ジャパン2019芦屋のプレイベント”がん体験者の語り”、にお越しください。  
 
詳細は、順次ホームページで発信していきます。 
ぜひ当日のプログラムもご確認ください。当日のプログラムはコチラから確認いただけます。(順次詳細確定次第、更新されます)  
 
 
 
ご質問、お問い合わせも随時受け付けております。(返信が多少遅れる場合がありますが、必ず返信いたします。  
お問い合わせはコチラから。  
 
 
あなたと芦屋の物語。”あなたの経験や想い”を募集しております。応募いただきましたら、その内容に基づいて、このように掲載させていただきます。ぜひ、コチラからお問い合わせください。