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つながり、つなげる ~がんでも笑顔で堂々と歩く~

2013年12月25日(水)

今回は大学生のときにがんと診断され、また就職した直後に再発がわかり、その治療のさなかRFLを知った方の原稿です。以後継続的に参加し、昨年はリレー・フォー・ライフin岐阜2012の実行委員長を務めました。

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私にとって2回目の参加となった2008年の芦屋のリレー・フォー・ライフでは、
Tシャツの背中に「がんでも堂々と生きられる世の中に」と書いて歩きました。

―リレー・フォー・ライフ・ジャパン岐阜メンバー、山下芙美子さんからの寄稿です―

2003年、充実した大学生活を送っていた19歳の夏に、私は卵巣がんの一種である未分化胚細胞腫瘍と診断されました。当時の私がまず心配したのは、休学や留年をせずに大学に通えるのか、ちゃんと就職はできるのか、将来結婚はできるのか。恐れていたのは、周りから「かわいそう」って思われて引かれること。病気そのものに対する恐怖はさることながら、“若くしてがんになった後の生き方”という未知の世界に対する不安が大きかったように思います。
3週間おきに入院して行う抗がん剤治療は授業を欠席しても成績に響きにくい曜日を選び、ごく一部の友人以外には病名を伝えずにウィッグを被って素知らぬ顔で大学に通い、副作用の吐き気をこらえながら試験を受けた日もありました。体調の良い時期にはサークル活動やアルバイトもして、見かけ上は普通の大学生活をしながら、なんとか治療と学業を両立して進級することができました。
その甲斐あって無事に大学を卒業して就職しましたが、就職した直後に再発が見つかりました。同級生たちがキラキラした新生活を送っているときに、私は手術・抗がん剤治療・放射線治療を受けながら家と病院だけの生活。大学生の頃とは違い、頑張って治療をするモチベーションも失って、生きがいもなく苦しい日々でした。家にこもってインターネットを見ている中で、つくばで開催される日本最初のリレー・フォー・ライフのことを知りました。開催日がちょうど私の23歳の誕生日だったこともあって、なんとなく興味を持ちましたが、治療の副作用が激しく、とても遠方まで行ける状態ではありませんでした。

翌2007年、治療を終えた私は、芦屋で開催されたリレー・フォー・ライフに初めて参加しました。それまでずっと周りの人に病気のことを隠していた私にとって、がんのイベントに参加するのは勇気のいることでした。でも思い切って紫色のバンダナを付けて胸を張ってサバイバーズラップを歩いたとき、ずっと負い目を感じていた“がん患者である自分”が初めて肯定された気持ちになりました。先輩サバイバーさんから「よく来たね」「よく頑張ってきたね」と声をかけられて、自分が生きていることに自信が持てました。それまでは、がんであることを知られたら「かわいそう」と思われるのではないかと恐れていましたが、会場を歩くサバイバーさんたちがみんな笑顔で、全然かわいそうな人には見えなかったので、「私もかわいそうな人じゃない、堂々と生きていいんだ」と思えるようになりました。

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リレー・フォー・ライフ・ジャパン2013岐阜の開会式での集合写真。
手作りでアットホームな雰囲気が岐阜の自慢です。

以降、毎年リレー・フォー・ライフに参加するうちに、多くのサバイバーと知り合い、がんと共に生きる生の見本をたくさん見つけることができました。同年代の仲間もできました。仕事のことや周りの人へのカミングアウト、結婚のことなど、がんになった後の生き方について気兼ねなく話せて分かり合える仲間の存在は大きな支えになっています。空の下で一緒に歩きながらだと、サバイバー同士のみならず、異なる立場の参加者とも気を張らずにいろいろな話ができます。様々な立場の人たちと同じ時間を過ごす中で、私はたくさんの人に支えられ、社会とのつながりの中で生かされていることを実感しました。

そして2012年、岐阜で開催されるリレー・フォー・ライフの実行委員長を務めることになりました。私が入院していた大学病院の敷地内にあるホスピタルパークが会場となりました。
テーマは「つながり、つなげる」。
たくさんの人がつながる、アットホームなリレー・フォー・ライフを目指しました。そして翌年以降の開催につなげられるよう、無理のない小規模開催を心がけました。
半年間にわたる準備は大変なこともありましたが、優しくてパワフルな実行委員メンバーに助けられ、家族に支えられ、病院職員様の多大な協力を得て、無事に開催を迎えることができました。当日は参加者も含めた多くの方々の力が合わさって温かいリレーが作り上げられ、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
閉会式直前のサバイバーズラップでは、私はフラッグを持って先頭を歩きました。途中で後ろを振り返ったとき、たくさんのサバイバーさんの晴れやかな笑顔がずっと後ろまで続いているのが見えました。
「みんな笑ってる。堂々と歩いてる。本当によかった」
ここまで頑張ってきてよかったと心から思った瞬間でした。

今年も同じ場所でリレー・フォー・ライフが開催されました。1年後にまた同じ場所を歩くこと、同じ人に会えることは、がん患者にとっては当たり前なことではなく、それを達成できたときの喜びは特別なものだからこそ、同じ場所で開催し続ける意義を感じています。

私にとって、リレー・フォー・ライフを通じて得た患者どうしのつながり、人とのつながり、社会とのつながりは、生きる力になりました。
たくさんのつながりが生まれるリレー・フォー・ライフが、地元岐阜で続いていくことを願い、これからも微力ながら貢献したいと思っています。

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リレー・フォー・ライフ2日目の早朝、空が紫色になった瞬間の写真。
新しい一日を迎えられた喜びを、会場にいる皆さんと一緒に全身で感じました。

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プロフィール
山下芙美子 30歳 
会社員 社会保険労務士
19歳のときに卵巣がんを発症し、20代前半で2度の再発を経験。現在は経過観察を続けながら社会生活を送っている。
2007年から毎年どこかのリレー・フォー・ライフに参加し、2012年には岐阜の実行委員長を務めた。
大学生のときにがんになったことで、就職に関して苦労した経験から、社会保険労務士の資格を取得。がん経験者である社会保険労務士として患者の役に立つことを目標に、日々精進している。