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たくさんの仲間とともに

2014年08月20日(水)

今回は鹿児島からの発信です。乳がんになったことがきっかけとなり、「リレー・フォー・ライフ・ジャパンかごしま」に参加されました。「がん」だからと疎外感を感じることもなく、居場所を見つけられたことが嬉しかったといいます。

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2014年の第3回「リレー・フォー・ライフ・ジャパンかごしま」終了後。
実行委員勢揃い!

2005年に子宮頸がんを発症しました。幸い、とても早期でみつかったこと、対処がよかったことなどが重なって、自分が「がん」だという自覚もないまま手術になり、その後、特に治療もないまま、あっという間に5年が過ぎました。ただ、それまでとひとつ変わったことは、家族がわたしの健康に関してとても敏感になったこと。そして、毎年、人間ドックを受診するようになったことでした。

あれっ。2012年8月。わたしは、自分の胸のしこりに気づいてしまいました。まさか、毎年検診はかかさなかったのだから…大丈夫なはず。そう思えば思うほど、不安は膨らむばかり。数日後、意を決して病院へと向かいました。そして、精密検査の後に、医師から告げられたのは、まさかの「乳がん」でした。その瞬間、頭の中が文字通り「真っ白」になりました。自分一人だけが別の世界に取り残されてしまったかのようななんともいえない孤独感、喪失感。そして絶望。まさかわたしが2度もがんにかかるなんて。今度は、大きな衝撃が、わたしのからだをすっぽりと包み込みました。

「なんであなたばかりが…かわってあげられるものならかわってあげたい」母の言葉は、痛いぐらい胸に突き刺さり、何度も何度も涙しました。それでも時間の流れはとまらず、「がん患者」となったわたしの現実は、前にすすむよりほかなく、検査検査の日々の次には入院、手術、病理説明…。本当にあっという間に過ぎていきました。

治療方針が決定し、考えてもいなかったまさかの抗がん剤治療。それはわたしにとって2回目の絶望でした。
そんな頃、一人の先輩患者さんに話をきいてもらう機会がありました。ひとしきり自分のことだけを話したわたしに、彼女は、「大丈夫、大丈夫。」「みんなそうだったよ。一緒だよ。あなただけではないよ。」とうなずいてくれました。精神的にも不安定になっていたわたしには、とてもありがたく、「一人じゃないのだ、こんなに元気になれるのだったら、治療をがんばってみよう」と、勇気と希望をもらいました。
とはいっても、抗がん剤治療の副作用はつらく、髪が抜け、むくみ、ごはんも食べられない…「生きる」ための治療をしているはずなのに、「生きている」実感をえられない日々は続いていくのでした。

2013年1月。ようやく、最後の抗がん剤治療が終わりました。その頃は、副作用を抱えながら、治療もまだまだ続くけれど、わたしに何かできることはないかな…と考える日々。完全ではないけれど、そこには少し余裕を持った自分がいました。わたしがそうだったように、今しんどい思いをしている人に、少し元気になった自分ができることはないだろうか。「大丈夫」「ひとりじゃないんだ」と伝えたい…。けれども、それがなにかはっきりしないまま、ただ、なんとなくの日々を過ごしていました。

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2013年の第2回「リレー・フォー・ライフ・ジャパンかごしま」。
左から4人目。

「よかったら見学にこない?」さきの先輩患者さんに誘われて、わたしは「リレー・フォー・ライフ・ジャパンかごしま」の実行委員会に参加しました。なんだかとても賑やかで、みんな楽しそう。わたしがぼんやり考えていたことは、こういう場だったのかも知れない。見学だけのつもりだったのに、話はとんとん拍子に展開し、いつのまにか事務局で動くことになっていました。そこには、たくさんの仲間がいました。「がん」だからといって疎外感を感じることもなく、なんとなく宙ぶらりんだったわたしの居場所が、ようやくみつかった気がしました。

2013年5月。わたしにとってはじめての「リレー・フォー・ライフ・ジャパンかごしま」。
勇気をだして、その場でウィッグを脱ぎ、ありのままの姿で「サバイバー宣言」することを決めました。まだまだ坊主頭に近い状態でしたが、自らを偽ることなく、ありのままの自分が、ありのままにここにいる。それが、少しでもだれかの励みになればうれしいなと。そして「サバイバーズウォーク」。先頭に立ってフラッグを持ち、歩き出した瞬間、がんと告知されてからのことが思い出され、涙があふれ出しました。そして、たくさんの患者さんの想いが、応援してくれる家族・仲間の拍手が、心に深くしみ込んできました。「また今年も歩けたね」「残念ながら来られなかったけど、心は一緒だよ」。そして「わたしもよくここまでがんばった!」つながりの中で、いのちの尊さを改めて噛みしめた時間でした。

2014年5月。「つなげよう!命のリレー」から通算8回目の開催。今年もたくさんの方にご参加いただき、またたくさんの出会いがありました。来年ももっと多くの方に知っていただけるようがんばっていこうと、仲間たちとともに語り合っているところです。

患者さんとご家族のため、この場所を大事に想って参加くださる方々のため。「リレー・フォー・ライフ・ジャパンかごしま」は、これまでもこれからも、そんな大切な場所です。

「がんになったけど不幸じゃない。」今、わたしは心からそう思っています。たくさんの仲間に支えられ、家族に支えられ、毎日たくさんの気づきがあります。がんにならなければ出会えなかった人、出合えなかったもの、見えなかったこと、気づかなかったこと…。これからも1日1日を大事に、出会いを大切にがんとともに生きて行こうと思っています。

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2014年の模様です。桜島も応援!?
この後、降灰に見舞われ大変でした!

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プロフィール
野田真記子
1970年熊本市生まれ。鹿児島市在住。
リレー・フォー・ライフ・ジャパンかごしま副実行委員長
NPO法人がんサポートかごしま副理事長
15歳になる双子の男の子の母。今年も、患者さんのために僕たちにできることをと、「子ども実行委員」として活動してくれたことをとてもうれしく思っている。
子どもたちへの「いのちの授業」や、「患者サロン」でのおしゃべり会、講演などを通して、がんとともに生きる道を追求中。