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リレー・フォー・ライフに想いをよせて

2015年03月27日(金)

一外科勤務医として岩手の地で日々、がん患者の方々を診察していた佐藤さん。しかし、狭義の医療行為だけでは患者さんの支えになっていないのでは?と感じていました。そんなある日、テレビでリレー・フォー・ライフのことを知り、「これだ」と地元での開催を決意するに至ったと言います。
                        
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開会式でのバルーンリリース。

2008年春、ふと見たテレビの画面に「リレー・フォー・ライフ芦屋」の様子が映し出されていた。「なんだ、これは?」と映像に見入っているうちに「これだ!」と確信した。当時、地方の一外科勤務医として、日々がん患者さん方々を診療していた。また「オストメイトの会」や「がん患者会」にも関わっていた。しかし、狭義の医療行為だけではがん患者さんの支えになっていないのではないのか?といった悶々としていた気持ちが一気に晴れた衝撃を受けたのを鮮明に覚えている。

リレー・フォー・ライフを是非とも岩手の地でも開催したいと、いろいろと考えていたが一歩を踏み出せなかった背中を友人が押してくれた。2010年から取り組みだしたところで、2011年3月11日の東日本大震災。この年は開催を断念した。それでも2011年の暮れから友人・知人や病院スタッフに声掛けをして、ポツポツと仲間が増えて徐々に準備を開始した。町村合併で13万人弱にはなったが、旧市としては6万5000人の人口の街でどれだけの参加者が集まってくれるか不安だらけだったが、この地元にもがんを患って一人で悩み苦しんでいる患者さんは沢山いるんだと開催を決意した。日本対がん協会の指導や福島の「まきどん」からいろいろと教えてもらいながら、「小さくてもいいから、とにかくはじめること!まず、やっぺし!」をスローガンに2012年9月に開催にこぎつけた。
開催の協力をお願いした先々では、「どっからどこまでは走んのだ?」「リレー? 走れねっちゃや」といった反応だった。それでも根気強く説明して回った。平泉町や毛越寺の協力をもらい、この年に世界遺産に登録されたばかりの平泉・毛越寺の隣の観自在王院跡地が会場で、予想を上回る参加者となった。多くのサバイバーやケアギバーの方々に参加していただいた。つつがなくイベントが進むように、けが人の出ないようにと無我夢中だったが、参加したサバイバーの笑顔と互いに肩を組んで語り合っている様子に、「開催出来て良かった!」と感激した。実行委員会スタッフにもボランティア仲間にも多くのサバイバーが入ってくれて、それぞれの役割に存分に力を発揮してもらえた。

2年目は一関市内の遊水地緑地記念公園に会場を移しての開催。スローガンは「ひとりじゃない ~がんに負けない未来にむけて~」。参加してくれたサバイバーのSさんは、初回は一人での参加だったが、2年目は娘さん夫婦とお孫さん2人の5人家族での参加だ。Sさんにはエンプティテーブル(※1)の一輪の薔薇の花を手渡して翌年の再会を約束した。でも、初回に参加したサバイバーで「来年も会おうね」と約束したけど、2年目のリレーに参加できなかった方々がいたのが辛かった。実行委員会スタッフは初回よりも多くなり、行政も人的にも物的にも多大な応援をしてくれた。会場では地元の料理やおにぎりを頬張り、サバイバー同志やサバイバーとケアギバーとが語り合い、ボランティアとともに行進した。歩みをとめてルミナリエに見入っている人もいれば、仲間とともに笑い、ともに涙する、そんな場面があちらこちらにあった。

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サバイバーウォーク。

3年目は、同じ会場で「ひとりじゃない ~いっしょに歩くべ、未来に向けて~」のスローガンでの開催。2年目を上回る多くのサバイバーやケアギバーの方々が集まった。ボランティアの方々も多く集まった。地元の高校生がいっぱい参加してくれたのも嬉しかった。Sさん家族も5人揃って参加してくれた。この年Sさんは、医師から「もう治療すべき化学療法はない」言われていたが、日本対がん協会・会長の垣添先生と話す機会があり、「希望の光がまた見えてきた」と元気に話されていた。閉会式ではSさんから初参加の(2年の間リレーに参加しようか迷っていた)Nさんへバラの花のバトンが渡された。会場にはこれまで以上の多くのルミナリエが並んでいた。その中でも、がんで父親を亡くした当時4歳だった女性が50年経って初めて、その父に贈ったメッセージが参加者の目を引いた。まさにリレー・フォー・ライフの「Remember」であった。そして、エンプティテーブルでの詩の朗読とバイオリン演奏は、会場には来られなかったけど、天国から見守ってくれているたくさんの患者さんに届いた。

3年目で気づいた。私自身はサバイバーではない。がん患者さんに生きる元気を提供したい、仲間と語り合う場を持ちたい、患者さん方の絆が強まればいいなぁと思っていた。でも、リレーを通して、元気をもらっているのは私で、絆を強めさせてもらっているのは私自身なのだと。ただただ、リレーの仲間に、サバイバーの方々に、ケアギバーの方々に感謝です。いっぱいの素晴らしいエネルギーをありがとうございます。 

(※1)エンプティテーブル…当日会場に来られなかった方や、がんとの闘いの中、旅立たれた方を偲び、
祈る為に白いテーブルと椅子を設置し、セレモニーとして詩の朗読等を行います。

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プロフィール
佐藤隆次
岩手県出身
1981年 新潟大学医学部卒業
1984年 東北大学第一外科入局
その後は消化器外科医としてがん診療に携わる
2005年 博愛会一関病院 外科勤務
2013年 博愛会一関病院 緩和医療科を立ち上げる
2012~2014年 RFLJいわて 実行委員会副委員長 
2015年 RFLJいわて 実行員会事務局長