2013年09月09日(月)
がん患者、その家族、仲間や友人がリレーしながら、ともに歩き続けるイベント「リレー・フォー・ライフ」。その各地の参加者に書き手となってもらって、発信をする連載を2007-2008年に行いました。このたび、ハートネットTVで「シリーズ がんサバイバーの時代」を放送するにあたり、リレー・フォー・ライフの連載も再開することになりました。これからまた毎月、発信していきます!
スタート直前で既に泣きそうになっています。
このあとすぐ号泣に変わります。
〜記念すべき再開後1回目は、今年初開催となった「リレー・フォー・ライフ・ジャパン八戸」のメンバー、松浦千春さんです〜
「がんに負けない社会を作る」「リレー・フォー・ライフin八戸」「青森県初開催」市内で発行されている情報誌に書かれていたこの大きな文字が目に留まった時は、RFLって、何? しかも「がんに負けない社会を作る」ってどういう事? と疑問だらけでした。全くどのようなものなのか知らなかったのです。しかも24時間通して歩き続けるって?
今年2月の半ばにこの記事を目にしたのですが、2月22日に実行委員会組織会、ボランティア、スタッフミーティングがあるというので『よく分からないけれど面白そうかも』面白い事、楽しそうな事が大好きな私はただこれだけの軽い気持ちで母を誘ってとりあえず参加してみることにしました。
私は現在40歳を迎えることができましたが33歳で右乳がん、36歳で左乳がんを経験しています。1回目はしこりを自分で見つけました。着替えをしている時に、何かボコッとしたものが手に触れたのです。鏡で見ても明らかに分かる位の大きさでした。数日前まで無かったはずなのに・・・後に医師から聞きましたが腫瘍が2、3日で大きくなる事はあるそうです。私が19歳の時に母が乳がんに罹っていたので「もしかしたら?」と思いましたがあまり深く考えず、次の日職場で上司に何気なく話をすると「直ぐに診て貰いなさい」と強く言われ、母もお世話になっている病院を受診し検査を受けたところ結果は「右乳がん」でした。そこから「がん人生」のスタートです。不思議ですが、告知を受けてからあまり落ち込むことが無く、自分が「がん」であることは誰にも隠さずに生活してきました。自分のありのままを見てもらうことで、段階ごとにどのような治療をしているのか、どのような副作用があるのか、そしてどのように回復していくのか等を知って貰えればいいかな、と思っていたからです。家の中に居るよりも外に出ていた方が多かったと思います。母が元気でいることも理由かも知れません。実は私以外にも母は乳がん2回に子宮がん、妹も乳がんを経験した立派な「がん家族」です。
八戸では普通に見かける「いさばのカッチャ」の格好で
リレー・フォー・ライフに参加しました。
身近に経験者がいるので普段からちょっとしたことについて話をすることは出来るのですが、中々同年代での経験者と知り合える事が難しく情報交換も思うように出来ないのが現状です。受診時の待ち時間中に『あ、この人もそうなのね』と思うことがあっても声を掛けることなど出来ずに隣に座っているだけ。ネットで幾らでも情報を得ることは出来るけどやっぱり同じ経験をしている人と直接会って色々な話がしたいという思いが強くありました。同じ経験をしていても、気軽に話をすることが出来ないでいる人が近くにいっぱいいる筈。なので参加することによって、経験者の人と知り合って情報交換が出来るようになるチャンスかもしれない! とも思いました。
1回目のミーティングに参加したのは10人位だったと思います。実行委員長の熱い想いやイベントの内容を聞いても「6/22開催って、たった4ヶ月で本当にこんな大きなイベントが出来るの?」と不安の方が大きかったのは事実です。ですがその後妹も参加し毎週水曜日のミーティングで回数を重ねるごとに参加者も少しずつ増え、仲間が増えていくのを目の当たりにしてその不安は開催に向けての期待と楽しみに変わっていきました。中でも、同い年で乳がんを経験した彼女との出会いは感動しました。話をしてみると、同じ病院でほぼ同時期に入院、手術、主治医も同じだったということが分かり、驚いたと同じくらい嬉しくて。参加して良かった。心からそう思いました。
地域の水道企業団のお祭りで場所をお借りして、
スタッフで広報活動を行った時の一枚です。
楽しかった!みんなの笑顔が印象的です。
この中に私の母と妹も写っています。
この一度しかない大事な「1回目」を何としても成功させたい!! この八戸で!! その想いだけでみんな突っ走ってきた4ヶ月。プログラムに載せるスタッフコメントで私は「最初から最後まで笑顔で」と書きました。しかし、当日サバイバーズフラッグを持ちスタートラインに立った私は、2/22からの事を思い出し泣いてしまい、ラストウォークでも泣いてゴールを迎えるという結末。想像を超える位沢山の人に参加して貰えた事、ルミナリエの数に驚き、そして灯りが灯ってからの美しさに更に感動した事、次から次と皆を楽しませてくれる歌やダンス等のイベントや出店者の皆さん、沢山のボランティアの皆さんに参加して貰えた事等、とにかく関わって下さった全ての方に感謝の気持ちでいっぱいになり、本当に嬉しくてたまりませんでした。「人の力って、すごい」と鳥肌が立ったのは忘れられません。全てが終わった瞬間に「同じメンバーで、またやりたい!」と強く思いました。こんな濃い4ヶ月は二度と味わえないのではないでしょうか。
RFLをきっかけにこれから「がん」という病気を皆もっと身近に考えられるような社会にしていきたい、そして今治療中の人も、周りにサバイバーだと打ち明けていない人も自分は一人じゃない、仲間は周りに沢山いるという事を知って欲しい。「私はがんだからあれもこれも出来ない」ではなく、病気であっても出来る事、楽しめる事は沢山あるんだよ、という事を伝えていきたいと思います。私はありがたいことに、今生きている。そして私は人前に出る事が好きで、人を笑わせる事が何よりも好きなので、一人でも多くの人、サバイバーやケアギバーの皆さんが笑顔で過ごせるような活動をしていきたいと思います。どうしても気持ちが前向きになれなかったり、誰にも相談できない人でも「あの人がああやっているんだから、もう少し頑張ってみようかな。」と思って貰えるような、そんな活動がしたいと思います。同じ病室で過ごし、旅立った彼女の分まで。
今回出会うことが出来たかけがえのない仲間に感謝します。みんなまるでずっと昔から知っている人たちのような不思議な感覚があるのです。そして自分が今「生かされている」事の意味を考え、生きている事が決して「当たり前」ではないという事を忘れずに、毎日を大事にこれからも常に前を向いて生きていきたいと思います。
RFL、本当にありがとう!!
平成25年9月3日
松浦 千春
一周400mのトラックいっぱいに並んだルミナリエと共に
八戸の文字がくっきり浮かび上がっています。
幻想的な一枚です。
プロフィール
松浦千春さん
青森県八戸市在住。40歳。
33歳、36歳と2度の乳がんを経験するが現在はデイサービスの相談員として働き続けている。2013年、母が以前から活動している患者会「青森県よろこびの会」に妹と共に入会し活動を始める。リレー・フォー・ライフジャパン八戸では誰に頼まれてもいないのに「いさばのカッチャ」で登場し会場を沸かせた。
かけがえの無い仲間を得た今、共に前を向いて進んでいきたいと考えている。