2016年1月27日
愛知県岡崎市のリレー・フォー・ライフ・メンバーからの声を紹介します。40歳のとき、マンモグラフィ検査をきっかけに乳がんと診断された米山さん。全摘手術を経て職場復帰した後、リレー・フォー・ライフの地元開催を知り、以降毎年参加しています。
2015年のリレー・フォー・ライフ・ジャパン岡崎のサバイバーズラップ。
大切な1周です。
2007年8月。私は、左胸の非浸潤性乳管がんと告知されました。40歳でした。
さかのぼる事2年前に、毎年受診していたマンモグラフィ検査で初めて左胸の石灰化を
指摘されたのです。すぐに病院で検査をするも、経過観察との事で、1年目、2年目と
過ごしました。3度目の時も、また経過観察だろうと思いましたが、この時は詳しく検査を
しましょうと言われ細胞の検査を受けました。私の乳がんのイメージは、しこり=がん
という認識でしたので、私自身にしこりは無く、大丈夫と思っていました。主治医ですら、
95%大丈夫でしょう・・・と言われていたのです。しかし、検査の結果、早期のがんと告知されました。日頃から、食事等、健康には気を遣う生活を心がけていたつもりでしたので、がん告知はかなりの衝撃でした。当時2人の娘は、中学3年生の受験生と、中学1年生の多感な時期でした。
あまりにも突然ふりかかった現実に、母親である私は落ち込んでいる訳にもいかず、告知から20日後に、外科手術で温存手術に挑む事になりました。家族に、特に娘2人には不安にさせまいと、言葉を選びながら伝えたと思います。本当は自分が一番不安なのに、大丈夫と言い聞かせながら。そして、パートで仕事をしていたので、勤務先に休職願いもしなければなりません。この先、いつ職場復帰できるかもわからず、休みをいただいて入院・手術となりました。手術当日、私自身に色々な迷いが有り、主治医に、温存手術から全摘手術に変更をお願いし、主治医と家族を驚かせての全摘手術となりました。手術は無事に終わり経過も順調で、左胸は全て失いましたが、動くことがリハビリになると言われ、退院後は1ヶ月の休職で仕事に復帰しました。幸い、手術後の抗がん剤治療や放射線治療もなく、定期検診での経過観察でした。
がんが、早期発見であれば治療も軽く済むので、この私の経験を、周りの子育て世代・働き盛り世代のママたちに、マンモグラフィ検査を受けるように伝えていきました。
そして、2010年6月。新聞の地方版に、がん患者さんを支援するイベントが地元岡崎で9月に開催されるという記事を読みました。私は迷う事なくすぐに掲載の連絡先に電話を入れて、お手伝いさせてくださいと申し出ました。その時の実行委員長さんが、もうじき説明会と実行委員会があるから参加してみませんかと誘っていただき、これが私のリレー・フォー・ライフとの出逢いとなった訳です。そして、そのまま実行委員として仲間入りさせていただき、9月に初めてリレー・フォー・ライフ岡崎に参加しました。実行委員の中には、私のようながん経験者(サバイバー)と、サバイバーを支える人(ケアギバー)の集まりでした。
2015年のリレー・フォー・ライフ・ジャパン岡崎。
閉会式後の、参加者のみなさんと実行委員で、笑顔いっぱいの写真です。
開会式の時に、サバイバーズラップという、がん経験者だけが歩く事のできる1周があります。私はトラックを一歩一歩ゆっくり歩いていると、トラックの周りに居るケアギバーの皆さんが私たちサバイバーに温かい拍手を送って下さるのです。私は涙が溢れてきました。サバイバーの一人一人が、生きている事に感謝して、今日この場所に来れた喜びを分かち合う、最高の瞬間なのです。
参加チームの中に、地元高校生チームがあり、偶然にも娘の通う学校でした。HRの時間をお借りして、実行委員長が生徒たちに「命の授業」をしました。高校生が感じる「がん」という病気のイメージを通して「生」と向き合う時間となったと思います。クラスメートのお母さんが、乳がん闘病中との事もあり、リレー・フォー・ライフの意義も理解して、会場で生徒たちがタスキをつないで歩いている姿にとても感動しました。
その闘病中のお母さんが、来年は一緒に参加したいと治療しながら励みにしてくれていたのですが、残念ながらご卒業されました。彼女との参加の夢は叶いませんでしたが、私は、彼女の写真と共に、翌年からずっと毎回サバイバーズラップを歩いています。
会場には、みなさんの想いがこめられたルミナリエがあります。日没後からルミナリエに火が灯り、翌朝まで凛とたたずんでいます。1つ1つにドラマを感じます。
こうして、私は毎年参加しておりますが、岡崎は連続6回目の開催となり、2015年は、4代目実行委員長のバトンを引き継ぎました。会場はいつも笑顔がいっぱいです。参加者の方々から、「岡崎はあたたかい会場だね」とありがたいお声を頂きます。毎年の再会が楽しみとなっています。
岡崎以外の全国各地のリレー・フォー・ライフ会場に参加する事で、その地域の関係者の方々とも仲良くなれますし、パワーをもらえます!もし私が、がんになっていなければ、もし、リレー・フォー・ライフに参加していなければ、今のかけがえのない仲間たちとのご縁はなかったかもしれません。がんになって辛い事ばかりでなく、得るものも大きいなと実感します。
命のリレーはもちろん、実行委員会のリレーも大切です。「今年も逢えたね~」と言える場所を続けていく大切さ。がんで苦しむ人が一人でも無くなる社会を目指していく事が、私が、頑張れる原動力です。
プロフィール
米山三香恵
1966年11月生まれ。岐阜県大垣市出身。現在 愛知県岡崎市在住。
2007年8月 左胸非浸潤性乳管がんの告知。同月、左胸全摘手術。
2010年6月 リレー・フォー・ライフ・ジャパン岡崎実行委員会に参加。
2012年~2014年 リレー・フォー・ライフ・ジャパン岡崎実行委員会 副実行委員長
2015年 リレー・フォー・ライフ・ジャパン岡崎実行委員会 実行委員長