学校、友達、家族……みんなの心に思い残した久保田君の
「命のリレー」 10月に大阪府立大手前高校で
英ウェールズの海岸で。
ホームステイ先でも久保田君は人気者だった。
彼が「背中が痛い」と言い始めたのは4年前、中学2年の夏前だった。足が速く、水泳も得意。小1からずっと剣道を続けていた。ユーイング肉腫。検査入院の結果を七夕の日、母(49)が一人で聞いた。2日後、彼と両親がそろって主治医の説明を受けた。彼は「淡々と聞いていた」。父(52)にはそう思えた。
抗がん剤治療が始まった。副作用はすぐには出なかった。「へっちゃらやな」と父に話しかけた数時間後、激しい吐き気が彼を襲った。肉腫が縮小し、11月に手術をした。翌春、中3になって通学できるようになった。
高校進学。勉強は遅れたが、「最後まで頑張る」と言って大阪府立大手前高校を受けた。母、姉(22)と3人で合格発表を見に行った。「よっしゃ!」。彼は声を上げて喜んだ。
週末。東京に単身赴任する父が帰阪し、家族で祝った。将来の仕事のこともよく話した。病気を見つけてくれた医師のようになりたいし手術機械の開発もしたい。口に出るのは病気に立ち向かう仕事ばかりだった。
高2の7月、交換留学で英ウェールズに2週間行った。100人の応募者から選ばれた8人の1人。副団長を務めた。渡英の直前、背中に痛みがあった。荷物も持てないのではという心配をよそに、彼は思い出をいっぱい詰めて笑顔で帰国した。
母の「命令」で7月末、剣道の昇段試験に挑んだ。合格して3段になった。そんな夏が過ぎようとしたころに再発がわかる。抗がん剤治療が続いた。大量化学療法も受けた。病状はときに悪化した。
昨年の9月のこと。彼が「リレー・フォー・ライフがあるんや。連れてって」と両親にせがんだ。「それ、何なん?」と問う母に「がんの人のイベントや」。貝塚市の会場。みんなが彼を出迎えてくれた。フェイスブックでつながっていた。学校の文化祭にも行けなかったのに、彼はステージで体験を語り医師と話し合った「。すごいなあ、あんなとこで話せるんや」。母は素直に感動した。
「行く気満々(」母)だった大学進学めざして彼は1月に大学入試センター試験を受けた。「学校とつながっていたい、友達とつながっていたい」。中学の時は院内学級で勉強しながら、先生が届けてくれる友達のノートのコピーを読み、授業を録音したボイスレコーダーを聞いた。試験用紙も先生に届けてもらい、治療の合間に答案を書いた。
高校生には院内学級がなかった。大阪市に設置を要望。大阪府の高校生向け院内学習支援制度につながった。しかし、支援で先生に来てもらっても治療の副作用で授業を受けられないこともある。義務教育ではないし、学校によって授業の進み方が違うことは知りながらも、なお院内学級の設置を願った。
肉腫と闘いながら、友達が好きで学校が好きだった彼、久保田鈴之介君は、そんな願いを託し、1月30日に息を引き取った。「副実行委員長 久保田鈴之介 18歳」。父はそう記した名刺を持ち、今年10月に大手前高校で開かれるリレー・フォー・ライフ大阪の運営に携わる。リレーに集うみんなの心に、彼はずっと生きている。