2007年09月12日(水)
がん患者、その家族、仲間や友人がリレーしながら、ともに歩き続ける「リレー・フォー・ライフ」。
もとはアメリカから始まったイベントですが、「自分たちの手で日本でも開催してみたい」。日本でも、つくば、そして芦屋とその輪は広がろうとしています。自身も妻をがんで亡くした大隅憲治さん(リレー・フォー・ライフ関西実行委員会代表)の想いから、このリレー・コラムはスタートします。
妻の八重子さんと。結婚してわずか3年だった。
リレー・フォー・ライフ(=命のリレー)に出会ったのは、妻を亡くして半年になる昨年7月のことだった。妻は胃がんで亡くなった。37歳、告知後1年のことだった。妻を亡くして以降、喪失感、罪悪感、無力感に苛まれた僕は、引きこもりの日々を過ごしていた。このままじゃいけない、何とかしなければ・・・そう言い聞かせていた時、インターネットで、リレー・フォー・ライフというイベントが茨城県つくば市で開かれることを知り、即座にボランティアの申し込みを行った。
右も左も分からず参加したリレー・フォー・ライフ。がん患者支援のチャリティ・イベント。チームでリレーを組んで歩くイベントらしい・・・心の底では、がんなんてもうたくさんだと思う自分がいる。けれど、がんから目を背けられない。がんと闘った日々は、僕たち夫婦が生き抜いた日々でもあったからだ。そんな複雑な心境で飛び込んだ僕を迎えてくれたのは、とても温かく、それでいて命というものと真摯に向き合う人々だった。
リレー・フォー・ライフつくばにボランティアとして参加した大隅さん。
炎天下、トラックを歩く人を応援する。「頑張って、頑張って!」 がん患者は精一杯頑張っている。「頑張って」は禁句だ。けれど願わずにはいられない。「頑張って、頑張って・・・」 歩いている姿が妻にだぶる。そして気づいた。励まされていたのは自分の方だった・・・自分の半身を失くし、生きる意味が分からなくなっていた僕を、妻は「頑張って、頑張って」と応援してくれていたのだ。そう、僕は生きていかなければならない。生きていく理由が見つかった、と思った。
関西に戻り、リレー・フォー・ライフという素晴らしいイベントがあることを周囲に話し、いつの間にか100人以上の人が集まった。関西でもリレー・フォー・ライフをやってみよう! ワイワイガヤガヤと楽しい打ち合わせ。けれど、癌を何とかしたい、生きていく希望や勇気を分かち合いたい、という根っこの想いは共通だ。楽しい打ち合わせの一方で、涙ながらに語り合う日々。僕は、リレー・フォー・ライフを開催したいと思う一方、この仲間といつまでも一緒に過ごしたいと思うようになっていた。
楽しい出会いの一方で、辛い別れもあった。リレー・フォー・ライフを目指して共に歩みながらも、闘病から「卒業」する仲間達。そのたびに、無力感に苛まれた。いつまでこんなことが続くのか・・・そして、こう思うようになった。リレー・フォー・ライフのリレーとは、卒業していった仲間達の想いを継いで行くことなのだと。それだけではない。リレー・フォー・ライフを支えてくれるたくさんの人たちの想いがある。スタッフ・ボランティアの方、地元の方、全国から応援して下さる方・・・そうしたみんなの想いを、僕達自身の想いと共に、次の世代へと伝えていくことがリレーなのではないか、と。
もうすぐリレー・フォー・ライフ芦屋(9月15、16日)が開催される。卒業した仲間達の想いを、応援して下さる全国の方々の想いを込めて。そこに僕たち自身の想いを重ねてリレーしていこう。次なるリレー・フォー・ライフへ、そして、未来ある子供達へ。
大隅憲治
プロフィール
大隅憲治さん
大阪府在住。昭和43年広島県生まれ。
妻をがんで亡くして呆然自失の日々を過ごす中、リレー・フォー・ライフつくば大会に参加して、生きていく勇気を得る。現在はリレー・フォー・ライフ芦屋に向けて活動中。リレー・フォー・ライフ関西実行委員会代表。将来の夢は、がんで苦しまなくても良い世の中を作ること。 Ininarnumma