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リレーっ子、誕生

2014年07月09日(水)

今回は、愛知県岡崎市で開催されたリレー・フォー・ライフの参加メンバーの方から原稿をいただきました。がんになった後に授かった子。リレー・フォー・ライフの仲間たちみんなが名付け親だといいます。

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リレー・フォー・ライフ・ジャパン岡崎2013にて、家族3人での1枚。

私達夫婦には3歳になるやんちゃな天使がいます。名前は「康暉(こうき)」と言います。
「康暉」という名前はリレー・フォー・ライフ(以下RFL)の仲間たちが付けてくれた名前なのです。
私達夫婦は2人共がんサバイバーです。
私は2007年に左胸にがんが見つかり、温存手術をしたのち抗がん剤治療をしました。また、最初の乳がん発見から6年目、2013年には右胸にがんがみつかり、今回は全摘手術をしました。2回目も原発細胞でしたが、やはり再発の不安はつねにつきまとっています。
2007年のがんの時は、1stステージだった事もあり抗がん剤治療をすることなど考えてもみませんでしたが、この時のがん細胞の性質が悪く、抗がん剤を投与する事を担当医から伝えられました。
その時に抗がん剤治療に伴い「子供はあきらめて下さい」と告げられ、私の中でどうしても子供が欲しいという気持ちになり主治医に相談をしました。
主治医も私の場合が早期発見だったこと、他の部位に転移していない事などを含め、私の気持ちをご理解いただけたため、抗がん剤治療開始を待ってくれました。
その間に過去に一度断念した不妊治療を再開して受精卵の凍結をしました。 
私の乳がん手術から半年後の2008年1月15日から抗がん剤治療が始まりました。そして6回目の抗がん剤投与した2008年6月に今後は主人が胃がんの手術で入院をしました。
夫婦2人で同じ病院にお世話になるとは思ってもみませんでした。
抗がん剤の影響で髪の毛も抜け、バンダナをして毎日主人の病室に通う日々、どうして2人共がんになってしまったのだろうと考える時もありました。
主人の手術も無事終わり、退院・自宅療養となっていた頃、私も次の薬、ハーセプチンの投与が始まりました。
主人の手術後数カ月後の或る日、NHKの番組で偶然RFLの特集をしていました。2人で元気に歩くがんサバイバーさん達の姿を観て、自分達もこのイベントに関わりたいと思いました。
それから2009年に岐阜市で開催された、中部地区初のRFL中部からお手伝いさせていただきました。
翌年の2010年9月には、私達の生まれ育った愛知県岡崎市で「RFL岡崎」を開催しました。その時には私のお腹の中に子供がいました。
そして待望の子供が2011年1月18日に誕生致しました。誕生直後にRFLの仲間達に出産の報告をしました。全国の皆様からたくさんのメールをいただきました。多くの方からこの子は“希望の光”“希望の星”だと言っていただき、その想いを名前にしようと考え、「光希」と考えましたが、字画の問題もあり、読み方を「こうき」のままで、漢字を健康の「康」とお日様のように温かく輝くと言う事で「暉」、「康暉」と名付けました。我が子はRFLの仲間たちが名付け親です!
RFLを知る前には名前も顔も知らなかった人達ですが、私達の出産を自分の事の様に喜んでもらえました。そんなかけがえのない仲間達と巡り合えたのもRFLのおかげです。
康暉は1回目お母さんのお腹の中で一緒にRFL岡崎を歩きました。2回目はRFL岡崎開催当日に熱を出し、1日目は自宅で過ごし、2日目の閉会式直前に会場入りし、お母さんとお父さんに抱かれラストウォークしました。3回目はずっとお母さんの腕の中で、4回目は友達と追いかけっこしたり、会場内のイベントを楽しんだりしました。1人でも「行ってくるねぇー!」と言って歩き(走り)に行ってしまいました。
毎回少しずつ成長している康暉はRFLが大好きです!
そして今年で5回目のRFLJ岡崎開催です。
康暉1人でグランドを何周も何周も走り回っています。1人で走っていても、会場にいる皆様の温かい心(目)が見守っていてくださるので、安心してウォークをさせられます。
「RFLが好き❤」と言う我が子康暉が小学生になり、中学生・高校生になり、やがて20歳になった時、親子3人で仲間たちと歩くRFLが私達の夢なのです。

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こ~くん、☆Chu! エヘッ!(^3^)☆Chu!!
リレー・フォー・ライフ・ジャパン2013岡崎にて。

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プロフィール
大菅年美
2007年6月 左胸乳がんみつかる。温存手術後抗がん剤治療開始
2009年1月 RFL中部実行委員会に参加
2010年1月 RFL岡崎実行委員会に参加(主人実行委員長)
2011年1月 45歳の高齢出産にて元気な男子を出産
2011年9月 アメリカ対がん協会より「Heroes of Hope」に認定される
2013年10月 右胸乳がんみつかる。右乳全摘手術