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心を解放してくれたリレー・フォー・ライフ

2014年11月28日(金)

42歳で「脂肪肉腫」と診断されて以来、22年間がんとつきあってきた高知に住む女性サバイバーさんからの記事。リレー・フォー・ライフと出会って、がんの呪縛から心が解き放たれたと言います。

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2010年、副実行委員長として参加したRFLです。
(右から2番目が高知県知事)

私は臨床検査技師(細胞検査士)として、病院でがん細胞のスクリーニング検査や、血液標本を見る仕事をしていた42歳の時に、がん(脂肪肉腫)と診断されました。それ以降、再発を繰り返し、22年にも及ぶがんとの闘いが始まりました。

1993年、咳があまりに長く続くので、勤務していた病院でレントゲン検査を受けました。結果が出て名前を呼ばれ、目の前に映されたレントゲンには、鎖骨の下のほぼ中心部に握りこぶし大の影が映っていました。一目で「腫瘍だ」と分かりました。縦隔にできた腫瘍でした。ハンマーで頭を殴られたような感覚で、その時の衝撃は今でも忘れることはできません。
すぐに総合病院への入院が決まりました。それが6月の初めの事でした。入院後、様々な検査をしましたが、1ヶ月半がたっても病名がつきませんでした。「何で病名がつかないのだろう。よっぽど難しい腫瘍なのだろうか」と少しがんについて知識のある私は、不安ばかりがつのる毎日でした。
病名がつかないまま7月20日、1回目の手術を受けました。しかし摘出材料を病理表本にして顕微鏡で見ても、確定診断がつかず、県外の大学病院に組織を送ってやっと病名がつきました。
「病名は脂肪肉腫、抗がん剤などの治療法はありません。再発をしたら手術しかありません。再発の確率もかなり高いです」との説明でした。頭の中が真っ白になり、説明の半分もまともに聞くことが出来ませんでした。「治療法が無い、再発する」その言葉がズッと私の頭の中と、心の中で大きなウエイトを占めました。長男が18歳、次男が10歳でした。「この子達を残して死ぬのだ」と思うと悲しくて、悲しくて涙が止まりませんでした。
1993年頃は、医学会でも「患者にがんを告知するか、しないか」で意見が分かれている頃でした。私は主治医にも家族にも「がんであっても包み隠さず教えて欲しい」と常々話していたので、病名を隠さず教えてくれました。でも治療法のない肉腫の宣告はとても辛いものでした。

手術後、2ヶ月で仕事に復帰し元気に過ごしていたのですが、再発の恐怖は常につきまとっていました。10年後の2002年、恐れていた再発が見つかりました。そして2007年に再再発。がんとどうやって向き合っていくか、自分の心とどうやって折り合いをつけていくかで悩み、もがいている時に、高知のリレー・フォー・ライフ(以下RFL)と出会い、実行委員会に来ないかと誘われました。
何も分からないまま実行委員会に参加しましたが、皆さんと話をするなかで、何となくイベントの重要性が分かってきました。そして初めて参加したRFLの当日、ルミナリエバックの準備をする中で、隣で一緒に準備をしていた方が「私の息子は白血病でね・・」と話しかけてくれました。そして息子さんの話が終わると「ところであなたは?」と尋ねてくれました。この一言は私を“がん患者として心の葛藤”から救ってくれた言葉でした。
「私もがん患者で・・」と、この時、私は初めて「がんとの闘いの話」を素直に見ず知らずの方に話すことができました。がんの呪縛から心が解き放たれた瞬間でした。何故なら、私はそれまで職場でも、ご近所でも自分が「あの人がんやと、かわいそうやね」と同情されたり、がん患者であるがゆえに差別されるのがイヤで「がん患者」だと語ることができませんでした。人が、がんの話をしていても「私には関係ない」という感じで人と接してきました。でもこのRFLとの出会いによって、私は自分が「がん患者」だと堂々と語ることができるようになりました。このことによって私の心は解放されました。それからの私は「自分のがんの話」を人に語れるようになりました。

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2014年開催の実行委員メンバーです。
沢山のかたの協力で盛大に開催できました。

高知での2010年のRFL(3回目の開催)では、副実行委員長をさせてもらい深くRFLと深く関わるようになりました。副実行委員長になってからは、自分が参加するようになって心が救われた経験を活かし、RFLの素晴らしさを語り、がん診療拠点病院や多くの施設に参加を呼びかけていきました。
昨年不幸にもRFLを高知で中心になってやっていた方たちが意見の違いから離れていき、高知での存続が難しいかもしれないという状況にもなりました。しかし「こんなに絆が深まり、がん患者が救われるイベントは続けたい」という方々から沢山の応援をもらい、7回目の今年は今まで以上の参加チームと参加人数でRFLが開催できました。RFLはがん患者やその家族、ケアギバーの方々そして支援してくれている方々皆のイベントなのだと実感し、とても感動し、多くの方々と成功を喜びあいました。

RFLに出会ってからの私は、自分ががん患者だからこそできることはないかと思うようになりました。そのため、臨床検査技師の仕事も早期に卒業しました。国立がん研究センター主催の相談員研修を受け、がんナビゲーターの資格を取り、また患者の心の痛みに寄り添えるようにスピリチュアルケアの研修も受け指導者の資格も取りました。 
今年6月に6回目の手術を受けました。再発を繰り返しながら状況は決して楽観できませんが、がん患者が少しでも自分の気持ちを話せる居場所を作ろうと、2か所でがんのサロンを開催しています。高知でこれからもっとがんサロンを増やしていきながら、がんの当事者としてできる「ピアサポートの会」を作り、少しずつピアサポートの勉強もしていくようにしたいと思っています。
今私は、「がんであるがゆえに苦しむことのない世界になるように少しでも役に立ちたい」と思いながら日々を過ごしています。

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今年4月のlove49の日に仲間と一緒にがん健診の大切さを訴えました。

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プロフィール
山地 ひろみ
1949年12月9日生まれ 高知県宿毛市出身
高知学園短期大学衛生技術科卒業後、臨床検査技師(細胞検査士、認定血液検査技師)として病院勤務中、42歳で脂肪肉腫発症。子供二人は結婚して独立し主人と二人(ネコ2匹)暮らし。 
2009年(高知では2日目開催)からリレー・フォー・ライフに参加
リレー・フォー・ライフ・ジャパン2014高知 副実行委員長
ピアサポート虹の会 会長
サロン運営とヒアサポートの会の勉強会、患者さんの相談などに関わっている