最新情報・ブログ

リレー・フォー・ライフの不思議な力

2015年1月12日

2010年、内科の診察で腫瘍があることが分かり、いきなり仕事ができなくなった自営業の大平さん。しかし、リレー・フォー・ライフと出会ったことで不思議な力をもらったと言います。

20150112_rfl_ohira_1

2014年「RFL宮崎・ひゅうが」大会終了後、実行委員集合写真。

私は、2010年「左腎細胞がん」と診断されました。背骨や胸、首の骨にも転移しているステージ4です。左腎臓は摘出しましたが骨の腫瘍は今も残っています。

症状の始まりは約1ヶ月半位前から右大腿骨に痛みが出だしたことからでした。整形外科を受診しましたが、骨にも異状はなく坐骨神経痛でしょうと痛み止めだけの治療でした。でも、痛みは強くなるばかりで歩けなくなり、内科の診察で左腎臓に5cmの腫瘍があることが分かりました。
背骨の腰椎にも腫瘍があり、それが脊髄の神経に当たっておりそこから下半身に痛みがきているのでしょうとのことでした。
肺にも気になる影があると言われ、MRIの画像で背骨に半分近く腫瘍が喰い込んでいるのを見て私は、「あー俺もこれでダメかな・・・」とショックを受けました。でも頭の中は、痛みで夜も眠れず痛みを我慢することで精一杯でした。
私は当時、自営業をしており、突然仕事ができなくなったことで、その後始末や今後のことが大きな問題でした。

リレー・フォー・ライフとの出会いは2011年「リレー・フォー・ライフ大分」でした。病院内患者会で一人の患者さんが「リレー・フォー・ライフ大分に行ってみたい」と、話されたことから始まり、皆「それは何・・・?」って初めて聞く言葉でしたが、「行ってみよう」となりまして、患者及び患者家族、病院スタッフなど総勢14名で予備知識もないまま参加しました。

まず、ビックリしたのは、人が多く賑やかだったことです、若い人達も沢山参加していました。オープニングのウォークでは、まったく見ず知らずの皆さんから励ましとハイタッチを受け「何でこんなにしてくれるのだろう」と感激し涙しました。
ルミナリエの灯りや書かれたメッセージそれと何とも云えぬ雰囲気に感動、また、テント泊や炊飯、炊き立てのあつあつおにぎりの美味しいかったこと等、何十年ぶりかのキャンプ生活が味わえてとても楽しかったです。

また、会場内での皆さんの姿や病院スタッフ皆さんの献身的なボランティア精神には、強く心を打たれました。今迄、仕事社会しか知らなかった私は、初めて知るような世界でした。
「こんな大会、延岡でもやれたらいいね」と冗談的な話が本気になり、翌年2012年に地元延岡市で開催することになりました。

患者側からも誰か役員にならんといかんと思い、一番元気な私が副実行委員長を引き受けました。医療系の学校もない、大きな会社関係も少ない、こんな一地方都市でどれだけ人が集まってくれるのか、協賛金は集まるだろうか・・と不安だらけでしたが、実行委員も徐々に増えていき、協賛金や寄付金、参加者も予想以上に集まり、大会は無事大盛会に終わることができました。・・が台風が迫る中、実行委員皆さんの労力は大変だったようです。

当の私は、大会2ヶ月位前から足、腕など、どこそこ痛くなり「俺の身体は、これからどうなるんだろう・・・」と、不安と覚悟が交互している中、車椅子での参加でした。
ウォーキングスタートでは先頭を進み、地元ということもあって多くの友人、知人、皆さんから励ましの言葉、ハイタッチには、しょっぱなから涙があふれ出し写真を見ても泣き顔になっていました。

「2013年みやざき・綾大会」では、数日前に腸閉塞で入院しましたが、どうしても行きたくて、大会前日に退院して参加しました。
綾大会も雨に見舞われました、それでも雨の中、消えたルミナリエの灯りを再々点火して廻る大勢の学生ボランティアの真摯な姿には、見ているだけで涙しました。(病気してからすっかり涙もろくなりました・・)

そして「2014年宮崎・ひゅうが大会」今迄、リレー・フォー・ライフを共に行動してきたが、道半ばで逝かれた患者仲間たちの熱い想いを受けながら事務局として参加しました。
苦労もありましたが、やりがいもあり毎日が充実した日々でした。また実行委員仲間として、現役時代にはありえなかった全く畑違いの新しい人達とも知り合いになり、とても嬉しかったです。

リレー・フォー・ライフ当日は、あっという間に終わったような気がします。
知り合った色んな人との出会いや、ステージイベント等、楽しさのあまり実行委員としての役目がおろそかになったという反省点もありました。・・が、今、写真を見ながら当日を振り返り、あの時の感動が沸ふつと湧いてきています。

この様に皆さんから、沢山のご支援を頂き、本当に感謝、感激です。そして私は不思議なほど元気です。ありがとうございました。

2015年1月12日  大平 久

20150112_rfl_ohira_3

2012年「RFL宮崎inのべおか」。
チーム紹介している筆者(前段左から2番目)。

20150112_rfl_ohira_2

プロフィール
大平 久
1949年 生まれ65才 宮崎県延岡市在住
2010年 左腎細胞がんと診断される
      放射線・手術・抗がん剤(分子標的薬)治療、2ヶ月入院
2011年 「RFL大分」に参加
2012年 「RFL宮崎inのべおか」副実行委員長
2013年 「FFLみやざき・綾」に参加
2014年 「RFL宮崎・ひゅうが」事務局長
娘2人は結婚して独立、現在妻と2人暮らし