2015年04月24日(金)
ケアマネージャーとして介護の仕事に携わってきた南出さん。53歳になり、ステージⅣの末期がんと診断されました。「がんになったんやから、とことん付き合おう」。自分ががんと向き合うことが、他の誰かへの「つなぐバトン」となれればと考えています。
みんなの夢を背負いリレーしながら紀伊半島制覇した友。
もちろんリレー・フォー・ライフでも仲間と共にリレーランしてくれます。
介護の世界に入り、はや25年。たくさんの高齢者、障がい者の方から様々な生き方・終わり方を教わり、その人がその人らしくその人が望む生活が過ごせるようケアマネジャーとして人と人をつなぐ仕事についていました。
50才になった途端、色んな病魔に襲われ、闘ってきて、職場復帰祝いと骨休めを兼ねて有馬温泉に遊びに行った時、鏡に映る姿を見てビックリ!
乳房にエクボがくっきり。その場で受診予約連絡を入れ、これはこれは最後が「がん」かいな…と思いながら、そこからは、トントン拍子に進み(これをトントン拍子と言っていいんだろか笑)
がんと診断される。ステージⅣの末期がんで、肝臓にもっと大きながんも発見されました。わかった時は「私で良かった。子供や孫でなくて良かった。自分なら何とかなる、傷みも不安も上手く付き合えるわ」と思いました。
折角、がんになったんやから、とことんがんと付き合おう、勉強しようと思い学術学会参加したり、患者会やサロンに顔を出して学んでいた時、実行委員長代理として支えてくれた野上哲也さんよりリレー・フォー・ライフと言う患者さんを支えるイベントがあって、和歌山で開催したいんや、初開催やから手探りなんやけど実行委員長になってみませんか? と声を掛けてもらいました。やるやる! これもがんがつないでくれたご縁や、やるでー! と何かもわからないまま返事をした次第です。
私の肝臓手術と同時にわかやま実行委員会が立ち上がり、治療と並行しながら、それこそ前進したり足踏みしたり、時には後退したりの状態でした。近隣の京都、大阪、神戸の先輩方にご指導頂き、開催を迎えました。
当日、「テレビ見たんよー」「ラジオ聞いて」「新聞見たでー」と夜間・早朝に歩きにきてくれた患者さんや家族さん。他の人には言えなくて、知られたくなくて。と辛い胸のうちを話しにきてくれた患者さん。亡くなった家族や友人を思い出し偲びにきてくれたケアギバーさん。私の微々たる力が、笑顔が皆さんのお役に立てたんや! と心の底から実感しました。和歌山実行委員の特徴である学生さん。医学生、看護学生、一般学部の学生さんがそれぞれの立場でがんの事を身近に考え、受け止めてくれた事もありがたい事で、これを継続して誰かが誰かの為に誰かを支えられる和歌山になるよう大人も一緒に成長したいと思っています。
がんになり色んなものを失いましたが、一緒に支えてくれる家族、友人、仲間が増え、一緒に泣き、笑い、考えてくれる。主治医を始め、薬剤師、看護師がいる事を身をもって実感した事を不安でいっぱいの患者さんに仲間がいるよー! と伝えていきたい。私の時代に間に合わなくても後世にはもっともっと治療方法が確立されるよう研究して発見してもらいたいし、優秀なお医者さんが育つようリレー・フォー・ライフから集まった寄付金が役立っている事も皆さんに知って頂く広報をする事も使命だと感じています。
いつかは終わりがくるこの命。その日まで大笑いしながら、がんと付き合っていきます。
今年も一緒に歩こらよー!!
2014わかやま初開催・初体験・初感動を共にした仲間達。
プロフィール
南出尚美
1960年和歌山生まれ。リレー・フォー・ライフ・ジャパンわかやま2014・2015実行委員長。ケアマネジャーとして邁進していた矢先、数々の病魔に襲われ2013年4月がんと告知され、がんと仲良く歩んでいる。