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2024年06月13日

キャンドルランに参加したよ

キャンドルランに参加したよ(2024年6月13日)

 「「キャンドルランは夜を超えて走るチャリティランイベント。あなたの走りが、がんと向き合い、戦う方々の力となります。ぜひ、ふるってご参加ください」こういう言葉に私は弱い。よし、体力は落ちているかもしれないが、ここはRFL神戸のキャンドルランに参加しよう。

 キャンドルランと言っても今年は昼の部・夜の部・昼夜通しの部と三部門ある。昼の部は晴れていたら熱いだろうな。でも十四時三十分~十八時三十分までの四時間だし、早寝早起きの自分にとっては楽かもしれない。おっと、RFL神戸は六月八日~九日。八日は十二時まで仕事だ。十四時三十分は行けない。よっし!今回も夜の部に参加だ。

 「こんにちは。よろしくお願いします」RFLの会場「みなとのもり公園」十七時四十分到着。受付付近で知り合いの明路さんにあいさつ。「君は元気だね。『来てくれ』といえば来て走ってくれる。ありがたい存在だよ」「ありがとうございます。明路さん、もうすぐ手術だそうですね」

 挨拶を済ませ、手続きを行う。丁寧に受付をしなければ「皿海」という字をどう読むかわからず、手間取ることがある。今回はうまくいった。次はサバイバーフラッグ作成。赤で手形を作り、周りに「スキルス胃がん、術後十七年を生きる」と記す。

 キャンドルランに個人で参加のメンバーには大会本部がテントを用意してくださっているので、そこに荷物を下ろし、会場を回って雰囲気を楽しむ。

 「あっ、こんにちは。よく来てくださいました」「こんにちは。会えてうれしいです」RFL広島で親しくなったRFLジャパンの時森さんとの出会い。これで会いたいと思っていた二人に早速会え、心強い。

 グッズ販売のテントに行くと、RFL神戸のTシャツ、良いのがある。まるで海外からの輸入品かというような英語ばかりのものなどあるが、私はたくさんTシャツを持っているのでこれはパス。

 無地のトートバッグにさおり織で作成した生地を縫い付けたもの、これはいい。後で買いたいな。

 ステージでは十五時からミュージックバトンが開催されていて、関西の人たちが多数、ミュージックを引き継ぎながら奏でている。

 十九時、いよいよキャンドルライトセレモニーの始まりだ。まずはルミナリエ点灯。そしてピアノ演奏。前回参加した時と同様田丸アナウンサーが登場。「まずは黙とうをお願いします」

 詩の朗読はテーブルの上に置かれたグラスや花の説明から始まり、がんで亡くなられた方をしのぶ。そしてサバイバーやケアギバーを励ますもの。感動的だ。

 いよいよ二十時三十分。キャンドルランのスタート。いつだったか、スタートから飛ばし、途中体調を崩したことがあった。今回はゆっくりペースだ。

 キャンドルランと言っても、チーム参加と個人参加の部がある。チーム参加だと、「一人何周」と決めておいて、交代しながら走る。個人で朝まで走るのとはペースが違う。チーム参加の人のペースに惑わされないことは大切。

 私が早寝早起きにもかかわらず。キャンドルランに参加するのは、紫色のバンダナを着用して走る人が少ないからだ。誰であれ、がん患者を応援してくださるのは有意義なことではあるが、サバイバーも元気な人には参加してほしいという気持ちがある。

 今回はRFL広島のTシャツを着用し、首にバンダナをまいているからか、私に声をかけてくださる人が以前より多い気がする。

 いよいよ雨が強く振り出した。今日の予報だと広島は夕方から雨なのだが、神戸は良く持ったよ。もうすぐ十一時だもの。そろそろ寝ようか。RFL芦屋でランに参加した際、財布を休憩所に忘れて帰ったことがある。以来妻に「夜は寝ること」と約束している。

 テントへもどり、体をふいて寝袋に入る。寝ようとするが、港の森公園は高速道路に近いからか、すごい轟音というか。暴走族みたいな音を出して走る車がいる。寝にくいな。

 車の音が静まったら、ミュージックの音。ミュージックバトンは十一時三十分までの予定。昭和演歌ならいつも聞きながら寝ているから二~三曲聞けば眠ることができるのだが、ここは欧米風の曲調。しばらくかかりそう。まあいいか。

 朝はいつもだと四時三十分に起床だが、今日九日は四時起床。雨は小雨。ゆっくりとジョグを始める。おなかが空いているので、途中エイドステーションに寄る。ここでは四個入った小さなクリームパンを一個いただく。このエイドステーション、ほかにもカステラ一切れ、飴一個、麦茶、コーヒーといろいろお世話になった。

 いつもは菓子パン一個とか、おにぎり一個くらい食しているが、いつでも食べられると思うからか、小食でもランすることができる。これは参考になった。これからは糖尿病のためにも、小食でジョグに出る日も設けようと思った。

 「これシンボルたすきですが、着用してランしてください。昨夜はチームの部の方にお願いしていましたが、今朝は個人の部の方にお願いします」とスタッフの方に勧められる。「わかりました」

 RFL神戸に初めて参加した時、「皿海さんはサバイバー、胃を全摘しているのに走ってくださる」と時森さんが紹介された。そこで私がスタートの際シンボルたすき着用することになった。そしてスタートの前にステージで私の胃がんについてスピーチをする機会をいただいた。それ以来のシンボルたすき着用だ。うれしいな。気持ちよく三周し、代わっていただく。

 自分で言うのもなんだが、早寝早起きの私、五時~六時は昨夜よりしっかりランできる。「雨のためなのかなあ、それともマンネリなのかなあ」チームのランナー、そしてチームのテントが以前より少ない気がする。それだけに自分が頑張らなければと思う。

 八時三十分ころか、もうすぐ終了という時間が来る。「シンボルたすき着用であなたがゴールしてください」と先ほどのスタッフの方がたすきを私に渡される。「わかりました。がんばります」ゴールの時間は八時四十五分。また三周すれば大丈夫と思い精いっぱいランする。「まだ時間があります。大丈夫。ランしてください」いつもだとへとへとなのだが、今回はそういわれるとランする気になる。

 四十五分少し前、ゴールする。ゴール後は司会者の指示により、シンボルたすきをウォーキングの代表の方に渡し、みんな一斉に一周ほどウォーク。

 ウォーキングの代表の方、本を片手に持ってウォークされている。「その本どうされたのですか」と聞く。「妻が記した本です。妻は今年になってがんで亡くなりました」と言われた。また「RFL今年は二十七か所参加するつもりでいます」とも言われた。

 RFLは冬には開催されていない。「二十七か所というとシーズン中はほぼ毎週参加することになりませんか」「そうですね。ほぼ毎週です」と答えられる。
「ここで出会ったのも何かの縁。本の題名を教えてください」と聞くと「わかりました。これです」と言われ、名刺状のカードを渡された。帰宅したらアマゾンで注文してみたくなった。

 だけど「希望の会」もそうだが、家族をがんで亡くされ、がん患者の支援に一生懸命になっておられる方がいる。全く頭が下がる。サバイバー本人はというと、術後の経過がよくて何年か経つと,「もうがんのことにこだわらなくてもよいですよ」と言われ、忘れようとする人もいるというのに。それはそれでよいのだが、ケアギバーの思いは強いものを感じる。
 閉会式は雨の心配があるので、いつもより簡単に終わった。さて、ここでのランは一キロランするごとに二十円寄付することになっている。私のランだが、四十キロの走りで八百円の寄付だった。がんになってフルマラソンを五回完走した経験者は何か物足らなさを感じる。でも夜だし、七十代、楽しめたのならこれでいいか。

 時森さんたちにお別れの挨拶をする。「皿海さん、途中寝たらだめよ。起きたら『博多、博多』と言っていたら大変」「できれば広島で起きたいですよ」二人で笑う。

 だけど、新幹線に乗ると眠い。寝てはだめだと思い、ウォークマンで音楽を聴く。何だか記憶があいまいなところがあるから途中寝たのかもしれない。でも岡山で気づいたので良かった。

 以後はしっかりした気分で福山に下り、福塩線で高木に帰る。楽しく有意義なRFLだった。よし、もう一週間くらいは紫のリストバンドを付けて生活しよう。