「死ぬまで生きる日記」より(2024年8月19日)
「えーすごい題だなあ」中国新聞文化のページ「死にたいから書きたい」というのを見てそう思った。六月二十九日(土)から始まった土門蘭さんの連載だ。私は「生きたいから書きたい」だぞ。「毎日ふと湧き上がる『死にたい』という気持ち。特別つらい過去の記憶があるわけでもない。家族や友人がいて、仕事や趣味もある。だけどふいに「もう無理だ」と思う」とある。
私は福祉施設で働いている。だから「死にたい」「いなくなりたい」という利用者に出会うことがあり、以前から関心を持っていた。だけど、「つらい過去があるのでもなく仕事や趣味もあるのに毎日のように『死にたい』という思いが沸き上がる」ことはどういうことか。
「私は火星からやってきたスパイかもしれない。だから地球人とはなじめないと思えばいい」とある。私は子どものころ、火星よりも金星に興味を持った時期がある。金星の裏側には金星人が生活しているのではと。
それはともかく、彼女が心療内科を受診すると「うつ病」と診断され、薬を処方されたが、服薬せずカウンセリングを受けることにしたという。ここまで読むと彼女の記した本「死ぬまで生きる日記」を読みたくなり、購入した。
彼女は三十代後半でカウンセリングを受診。カウンセラーも私よりは若いだろうが、二人の会話には生きる上で大切なことがたくさん出る本である。少し取り上げてみよう。
「死にたいという気持ち、朝起きた時が一番多い」と言われる。多数の人は夜ではないかと思うのだが、彼女は「誰かが私のことを怒っているのでは」と不安になり、朝起きるとメールや電話を見るという。無くてもこれからあるのではと不安になる。「今日は〇〇の予定があるが大丈夫かな」と思うことは私にはあるが、「何とかなるよな」と根拠のない思いで紛らわせる。不安になる人はより誠実なのかもしれないが、生きにくいなあ。
「大型連休が苦手で。それは家族とか属している場所が際立つから」それに対してカウンセラーは「母性が慢性的に不足しているのかも。母性とは絶対的に存在を受け入れるもの。父性とは社会的、相対的に存在を高めていくもの」と言われる。
そういえば職場の利用者も八月十日~十四日までの夏休み、「家でごろごろするしかない。退屈だ」と言っている利用者が多かった。母性が少ない人が多く、自分の居場所が 感じられないのかも。
「死にたいと感じてもいいのだと、自分を許してあげてください」 同感だ。死にたいというのは自分の内部から湧き出るものなので、それを認め、分析することにより、対処するのがいいと思う。そして、そのことを話し合える人がいるのが望ましい。
現に彼女も「死にたい」と思うようになってから三十年近く生き延びている。また、それを文章にすることにより、新聞の連載とか、書籍の出版が可能となった。
ただ、文章は何人の人が読んでくれたか分からない。私が輪読会に参加した経験からすると、自分が一生懸命書いたところはスーと読んで、違ったところで盛り上がるということもしばしばある。
そういうことがあるのはわかっていても、文章を書くときは冷静になれる。素直になれる。そこがアマチュア作家のよいところ。
まだまだ記したいところはたくさんあるが、紙面の関係で今回は終了。新聞の連載は続くので、読むのを楽しみにしていたい。