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2020年06月17日

がん友のエッセイ

     観察映画より

 「八十二歳。精神医療にささげた人生。突然の引退。夫婦の純愛物語」想田和弘監督「精神0」のチラシにはそう記されている。監督は十年前、「精神」という映画を作成されている。なぜ今回が0なのだろう。「精神パート2」ならわかりやすいのに。こんな視点も併せ持ったうえで「精神0」を六月十三日、「シネマ尾道」で鑑賞した。
 「精神障害者がモザイクもなく登場するなんてすごいな」前回同様今回も感じさせられた。それも受診風景を。主人公は岡山の精神科医山本昌知氏。患者に寄りそう受診風景。
 「きっとこれだよ」受診風景を見ていてすぐに感じた。今回が「精神0」の理由。
 「先生は自分の内面から湧き出た思いは大切にするようにと言われましたね。私は欲しいDVDやCDがたくさんあります。それを購入しようとするとお金が足りません。どうすればいいでしょう」と質問する受診者。それに山本医師は答える。
「内面から出た思いは大切。だけどせめて一週間に一日くらいは思いをゼロにし、『今生きているだけでも幸せなこと』と、感謝の気持ちで暮らす日を作ろう。たとえば『外出する日は雨が降らなければいい』と強く思っていても降るときは降る。そんな時、『今日は雨か、仕方ないな』と思い、傘をさして出かける。すべてが自分の思い通りにはいかない。折り合いを付けながら生きている日も必要」と答えられた。そのうえで「今の時代、自分中心の人が多く、ストレスを抱え、生きにくい社会。その中で障害を抱えながらも生きていくことは大変なこと。自分の思いも大切に」と付け加える。患者に寄り添っているなと思う。
 引退する先生のために講演会を開いた患者たち。その場で山本医師は語る。
 「ちょっと前に肩を痛めた。右利きの私が右の肩だったので、できることが限られ、苦労した。そんな時、子供や周りの者は『食事だけはしっかりとるように』『生活のリズムを崩さないように』わかっているよ。わかっているけれどできないから困っている。
 君たちも同じ。わかってはいるけれど、思った通りにできないから精神障害者。そうした中で苦労しながら折り合いをつけて生きている。生きているだけで価値がある。素晴らしい」
 いい話だと思う。過去二年間だが、心の病で精神科の受信歴があり、現在も心の病で受診している家族がいる私にはジーンとくる話。
 後半は老いた夫婦の在り方を映した純愛物語と言っていいと思う。
 診察を終え、夫婦で我が家に帰る。「やれやれ、お茶でも飲もう」と言ったが、菓子を入れる器や湯呑をあちらの食器棚、こちらの食器棚と探す山本医師。やっと見つけ出すとキッチンペーパーで拭いてお盆にのせる。「そろそろ、食器を洗わないといけないな」とつぶやく山本医師。流し場には洗わなければならない食器がたくさん。
 妻は、若いころは学業優秀で多趣味なしっかり者。同級生結婚だが、学業は奥様のほうが優秀だった。でも、今は山本医師が湯呑を探す間、何をしていいのかわからないようでただたたずむだけ。ヘルパーさんを利用すれば、負担が減り、台所も整理できるかなとも思う。
 夫婦で墓参りに行く場面は感動的。線香や水はもちろんお供え物もすべて山本医師が持ち、「危ないから私の手を握れ」と妻に言う。二人で手をつないで墓地へいく。線香やお供えの準備を山本医師がして、二人で手を合わす。
 私たち夫婦も年老いたらこの夫婦のようにありたいと思う。いや、待てよ。私たち夫婦の場合は妻がしっかり私をサポートしてくれることが大切。忘れ物、ついうっかりの多い私は妻についていく。
 患者であれ、妻であれ、いつも穏やかな態度で接する山本医師。障害者の生きづらさに寄り添う医師。だから多くの人に信頼されると思う。
 映画の影響かな、映画終了後雨の千光寺にお参りし、膝関節や股関節の手術をしている妻に「膝腰御守」をお土産にと購入する。
 今年度より、半日勤務となり、「利用者とどう接しようか、どういう支援ができるか」と試行錯誤している私にヒントを与える映画だった気がする。