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2019年04月11日

しのぶ Remember

春を待つ2月28日、山地ひろみさんが旅立ちました。

 突然の別れに戸惑い、いまだに信じられない、これは夢ではないか?という気持ちでいっぱいです。         山地さんの人となりは皆よく知っていると思います。そばにいれば居心地がよく、多くの人から、また会いたいと思われるようなそんな人でした。

 山地さんは、リレーフォーライフin高知実行委員会の要として、実行委員会には、無くてはならない存在でした。 資料の準備、調整、交渉、依頼、と一人で何役もこなし、スムーズに物事が進むように実行委員会をまとめてくれ、今年度の開催の準備にも取り掛かっていました。

リレーフォーライフには、2回目から参加し、昨年11回目まで大きな役割を果たしてくれました。         そして、今年12回目は、どこかで見ていてくれているだろう山地さんの想いを大切にして、全員が一丸となって、取り組んで行きたいと思います。

「山地さん、ありがとう。これからも私たちを見よってね」

以下の手紙は、2015年10月10日 第8回リレーフォーライフジャパン2015高知で、ルミナリエセレモニーの時間に朗読(代読)されました。

 今年8月に、7回目の手術をするようになりました。手術が決まり、気管切開の説明を聞いた時、今年はもうリレフォには、出られないと思いました。                                      でも、今日ここに参加することができ、参加者の皆さんと一緒に、このイベントに参加できたことを大変うれしく思い、お世話になった医療関係者の皆様、励ましてくれた多くの皆様に感謝しています。

 私は23年前の43歳の時に、脂肪肉腫という「がん」になりました。手術後、今の医学では治療法がありません、と主治医の説明がありました。説明を受けた時、長男が19歳、次男が10歳でした。この子達を残して死ぬのかと思うと辛くて涙が止まりませんでした。何で私ががんに、という思いで悩んでいた時に、ある看護師さんから「山地さん、あのね今は4人に1人ががんになる世の中ながよ、そしたら、あなたが、私が、がんになっても不思議ではないよね」という言葉をかけてもらいました。

 当時がんの罹患率は4人に1人と新聞などにも書かれていた時代でした。私はその言葉を聞いた時、「そうや4人に1人やったら私ががんになっても不思議ではない、我が家は4人家族やから、我が家で誰かががんになるがやったら、子供でもなく主人でもなく私で良かったがかもしれん」と思い、がんを自分の中に受け入れ一歩をふみだすことができました。私と、リレーフォーライフとの出会いは2009年、私が3回目の手術を受けたあとでした。高知で、2回目のリレーフォ―ライフを開催する準備をしていた時、偶然実行委員にならないかと誘われてリレーフォーライフがどんなものかもわからずに、リレーフォーライフと関わるようになりました。                        何もわからないまま、実行委員会に参加しましたが、皆さんと話をする中で何となくイベントの重要性が分かってきました。

 そして初めて参加したリレーフォーライフの当日、ルミナリエバッグの準備をする中で、隣で一緒に準備をしていた方が「私の息子は白血病でね、」と話しかけてくれました。そして息子さんの話が終わると、「ところであなたは?」とたずねてくれました。この一言は私をがん患者としての心の葛藤から救ってくれた言葉でした。「私もがん患者で」と、この時私は初めてがんとの闘いの話を、素直に見ず知らずの方に話すことが出来ました。がんの呪縛から心が解き放たれた瞬間でした。なぜなら、私はそれまで、職場でもご近所でも、自分が「あの人がんやと、かわいそうやね」と同情されたり、がん患者であるがゆえに差別されるのが嫌で、がん患者だと語ることができませんでした。

 人が、がんの話をしていても、それまでの私は、私には関係ないという感じで、人と接してきました。でも、このリレーフォーライフとの出会いによって私は、自分ががん患者だと堂々と語ることができるようになりました。このことによって私の心は解放されました。それからの私は、自分のがんの話を人に語れるようになりました。リレーフォーライフは私の心を解放してくれた大切なイベントになりました。

 その後、がん患者だからこそできることをしたいという思いが一層強くなり、地域でのがんサロン開催や、がん患者の心に寄り添わせていただくためのトレーニングを受けたりして、お話を聞かせてもらうこともするようになりました。

 今年8月、7回目の手術をしました。今回は、腫瘍が声帯を動かしている反回神経を取り巻いていて、腫瘍を取り除くため反回神経麻痺がおこり、自力で呼吸が出来なくなり、気管切開をしました。そのためまた声が出なくなりました。食べることも難しくなりました。でも検査技師会の仲間や、ピアサポートの仲間、サロンの仲間、患者会の仲間、地域の友人など大勢の方々の励ましによって、話すことも食べることも何とかできる所まで回復してきました。そして今日の日を迎えることができました。今年のリレーフォーライフに参加できるようになるとは思ってもいなかったので、とてもうれしく思っています。

 これからも色々なことが起こると思いますが、皆さんの応援で私らしく生きていけたらと思っていますので今後ともよろしくお願いいたします。

応援本当に本当にありがとうございました。

  2015年10月10日  山地 ひろみ

 

 

人の立場に立つことを大切にし、あるがままの自分で、人生を生き切った山地さんのご冥福をお祈りします。