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研究者との交流で新企画、来年へ向けて一層の前進を〜がん患者支援のリレー・フォー・ライフ2011が閉幕へ

研究者との交流で新企画、来年へ向けて一層の前進を
〜がん患者支援のリレー・フォー・ライフ2011が閉幕へ〜

(対がん協会報2011年12月号から転記)

今春から全国で開かれてきた「リレー・フォー・ライフ2011」は、沖縄・北谷町での開催(12月10-11日)を最後に幕を閉じる。ボランティアの方たちが各地でつくる実行委員会は、企画や運営に思いをこめ、議論を重ねながら地域色を生かした催しをつくり上げてきた。
サバイバーや家族、医療者、学生、企業、行政、そして健康な人々が一体となって、がん患者の闘いを祝福し、病気にならないよう自覚を持とうなどと呼びかけて、国内外の患者支援をめざした寄付を募ってきた。
2012年の開催はすぐそこで、来春には新シーズンが始まる。

全国実行委員会は1年を通し奮闘

2011年は、全国27カ所(神奈川・逗子の米軍横須賀基地内フットボール場で行われたリレー・フォー・ライフは米国開催でカウント)でさまざまな取り組みが繰り広げられた。

リレー・フォー・ライフは、サバイバーを勇気づけることなど以外にも、啓発や禁煙の催しがテントで計画される会場で、チームのメンバーが交代で夜を徹して歩く。チャリティの演奏、踊りに趣向を凝らし、勉強になる医師や患者の話もたくさんある。
検診を受けて早期に見つけることがなぜ必要か、それが家族全体への安心にもつながる、といった啓発を工夫する意識も実行委員会の中で高まってきた。

参加者は、医療大学のグラウンドで開いた北海道・いしかりのように150人前後もあれば、各ジャンルから5000人が参加した大分のように規模に開きはある。しかし、どの会場もリレー・フォー・ライフの趣旨を理解したものだった。

雨風に見舞われた京都・亀岡、東京・駒沢などは懸命にやり遂げることを模索し、今年が2回目、3回目になる会場では、新企画で来場者の喝さいを浴びた。

まもなく終了の動きを待つまでもなく、すでに2012年春や秋の開催をめざし動き出した実行委員会もある。
リレー・フォー・ライフは一年中準備を続ける。その過程で実行委員たちは絆を深め、開催その日はみんなで楽しむものであり、寒い時期から翌年夏や秋へ向けた準備にとりかかる開催地が出始めたのも近年も特徴だ。

また、開催希望の問い合わせがこのところ増えてきた。実行委員の中には「家事や働きながらのボランティアで開催間際など時期によっては気ぜわしいさがあるも。けれども、準備途中での人の輪と成し遂げたあとの爽快感を得ることがうれしい。それが、自分がボランティアを続ける理由です」という意見が多い。
希望者は人づてに、そうした実感を知り、魅力に誘われているようだ。

東日本大震災の被災地、福島は桑折町の屋内体育館で、宮城も比較的被害が少なかった富谷町の会場で元気に繰り広げられた。
こんな時こそ集まろうという声は、被災後まもなく自然に多くなっていった。実行委員たちの強い思いが、実施にこぎつける原動力だった。

人の手助けをもっとしたいという思いは、震災を契機に全国に広がってきた。その機運は、リレー・フォー・ライフにも表れている。

最前線の研究者と交流、支援者への祝福も始まる

会場では、サバイバーを大切にする交流サロンや医療者、家族から闘病支援の話を聞く講演企画、生保団体など企業から見たがんの現状報告など、ミニ企画が多彩になってきた。これは、リレー・フォー・ライフ開催の大きな目的の一つ、啓発の充実につながっている。

日本開催が始まって以来、全国から協会に集まる寄付をがん研究の支援に使うことは、寄付の使い途の一つとして懸案になっていた。それが、今年は準備が整い、来年から実現する見通しになった。

全国のがん研究を公募し、ボランティアの代表者も参加する審査会を経て研究に助成して新薬開発などに願いを託す「リレー・フォー・ライフ プロジェクト未来研究助成」の仕組みが2012年春にも具体的する。

その前段として、最前線にいる研究者が最新事情を話すミニ講演が今年から5会場で始まった。初めて聞く研究者の生の話に耳を傾ける家族や若者の姿が多くあり、研究者と患者・家族との交流が深まった。

10月には日本癌学会でリレー・フォー・ライフとの協力を強めて助成を受ける段取りが決まり、本格始動へ助走が始まっている。

会場で研究者と患者・家族が結び合う第一段階を経て、リレー・フォー・ライフのみんなが力を合わせた結晶に、新薬や新治療技術誕生への望みをかける次への歩みが今年踏み出されたことになる。

医学、看護、検査などを学ぶ、あるいは医療現場で看護師、放射線技師などとしてすでに働く若者たちの姿が実行委員やチームに多く見られるようになったのも今年の特徴だった。
看護福祉大学の若者自らが企画した熊本・玉名、患者と接する中で芽生えた気持ちを実現するために勤務の傍ら準備を続けた東京・駒沢などのほか、多くの会場に若者が参加するようになってきた。

がんとの闘いは患者一人だけでは難しい。家族や手助けを続けてきた周囲の人の苦労、悩みも大きい。
リレー・フォー・ライフの主役はサバイバーであることはもちろんのことだが、国際的な潮流として、ケアギバーを大切にして称えようという機運がある。国内でも、今年から何カ所かで、ケアギバーズウォークが始まった。

たとえば、岡崎では閉会式直前にサバイバーを先頭にみんなで歩くラストウォークが大きな拍手でゴールしたあと、両脇にサバイバーたちが分かれて声援を送る直線数10メートルを、家族や支援者たちが涙と歓喜の中で歩いた。会場に一体感が漂う感動的な幕切れは、閉幕後もしばらくのあいだ余韻を残していた。

地域への呼びかけに課題も

「あなたの街でもリレー・フォー・ライフ」という標語が、国内開催ではよくいわれる。気軽に、負担がないように、出来ることを役割分担して地域での開催をめざすものだが、リレー・フォー・ライフの存在を知っていただく意味で効果が上がっている。

そうした場合のキーワードは、小規模開催。小さな態勢で準備も最小限にかまえるのはよいが、地域への呼びかけ、チーム作りが十分にできないと仲間内の催しになりかねない場合もある。
それはそれでリレー・フォー・ライフだが、サバイバーに話をしてもらい体験を役立てる、あるいはがんに気をつけるよう呼びかけるといった啓発面では不十分になりがちだ。

小規模でもよいが、地域で暮らす幅広いジャンルの方たちにチーム作りを呼びかけて参加していただく工夫はいる。

必ずしも万全の準備ができなかったり、地域への働きかけができなかったりした実行委員会の中には、すでに次回へ向けて行政を訪問し仲間作りに着手したところもある。

絆や命を考える機会が欲しいという思いが強い患者・家族が、仲間を募り動いている。プログラムの内容を充実させながら、開催数が増えることが望ましい。

リレー・フォー・ライフは2006年に筑波大学でトライアルをし、翌年の兵庫県芦屋市での国内初開催から正式に始まった。2012年は6年目に入るが、よりよくするために課題はまだまだある。
実行委員それぞれの負担が少なく、しかも正しいプログラムになるよう、努力が欠かせない。また、「プロジェクト未来」を長くきちんと続けるためには、今後もより多くの寄付が集まらなくてはならない。そのぶん、大勢の協力と声が、研究や治療現場につながることになる。

協会のリレー・フォー・ライフ担当とボランティア代表者が一緒になって全国開催の基礎づくりを進める全国実施事務局は、毎月一度の割で話し合いの場を持っている。

2012年春に全国約10の地域で順次始まるブロック・スタッフ(リーダー)制度なども通し、実行にあたっての相談窓口を広げる。

ボランティアの方たちの力なくしては成り立たないこのプログラムをより充実させるため、その声を反映してともに推進することにしている。