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2018年認定 2019 ’Global Heroes of Hope’ の横顔 村上均さん

村上均さん(RFLJ東京中央:ケアギバー)

<受賞コメント>
この受賞は、個人の名誉ではなく、私たち全国のボランティア有志全員に、RFLが必要なくなるその日まで支援し続けて欲しいという願いだと思っております。

*** マイストーリー ***

私は、生命保険会社に所属しているセールスパーソンです。今年で勤続22年目を迎えます。

私がセールスパーソンとして活動し始めた5年目の事です。当時38歳だった男性のクライアントから、突然一本の電話をもらいました。
「歯茎から血が出るんだけど、検査入院で給付金は下りますか?」という問い合わせでした。その後、彼は肺がんに罹患していることが分かり、それが分かった時には既にステージ4だったのです。
年齢的にも近かった私は、彼の入院する病院へお見舞いに行くたびに「私が本当はどんな病気なのか、診断書を預かっているあなただったら知っているでしょう?」「他にどんな治療方法があるのかな?」「この病気ではほかのもっと良い医療機関を知らないのか?」と彼から様々な質問を受けました。
しかし当時高い業績を挙げていた私は、販売する事だけに熱心で、病気に罹患したお客様が、その保険をいざ必要とする時に役立つ知識や情報を学ぶ事を全くしていませんでした。
結局そのお客様は翌年に若くして奥様と3歳の女の子を残し、旅立っていかれました。その後の数年間は、自分はお客様に全く役立たないセールスマンであるという思いに苛まれ、気持ちが高揚する事のない日々が続きました。

そんな中、2006年の秋にたまたま見たNHKのドキュメンタリーで、つくばで行われた日本で初めてのリレー・フォー・ライフに出会いました。その画面を食い入るように見て、「これだ。この活動の役に立ちたい!と」いう気持ちが込み上げ、声に出してそう叫んでいた自分を今でも覚えています。直ぐにネットで、リレー・フォー・ライフの実行委員会の次の会議がどこであるのか調べました。
会議当日呼ばれもしないのにその会議に出向き、「お役に立てることがあればと思って参りました」と気持ちを伝えました。
その頃実行委員会代表を務められていた三浦さんからは「サバイバーでもケアギバーでもない健常者である方が、リレー・フォー・ライフを手伝いたいといってきたのはあなたが初めてですよ。」と言われた事を覚えています。

翌年の2007年、芦屋で行われるリレー・フォー・ライフのため、大勢の会社の仲間たちに声を掛け200人で参加する事ができました。
私が初めて参加したリレー・フォー・ライフはとても感動的であり、想像以上のものでした。
がんに罹患するという事は、24時間気が休まらないという事であり、また周りの家族の方達の苦しみや悲しみ、また医療従事者の方々の治療に対する悩ましい気持ちにも気づかされました。
しかし今まさに命がついえようとしているサバイバーの方が、会場で他のサバイバーの方や子供たちのために一生懸命啓発活動をされている姿を、私は今も忘れません。明日へ命を繋いでいっている・・・。そうです、リレー・フォー・ライフは、そんなサバイバーやケアギバー、医療従事者たちのまさに“希望”そのものなのです。

RFLへの初めての参加から10年が経ちました。今、新たにがんに罹患されたお客様に対して、勿論完全ではありませんが、がん治療に関する基本的な情報をお届けする事が出来る様になりました。ですが同時にこの期間、大切な会社の仲間4名ががんで亡くなりました。その都度、がん撲滅への気持ちが高まります。

私は信じています。人類は必ずがんを克服します。それは単に時間の問題なのです。
これまでも色々な問題に直面した人類がそうであったように、多くの人々の日々の熱意の結晶がそれを実現するのであって、決して一人の研究者の力だけでそれがある日達成される訳ではないのです。だから私達は、みんなでリレー・フォー・ライフに参加し続けなければならないのです。