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2021年認定 2022 ’Global Heroes of Hope’ の横顔
下村達也さん(RFLJとまこまい:サバイバー)

*** マイストーリー ***

リレーを続けてきただけの私が、名誉あるGlobal Heroes of Hopeに値するのか戸惑っております。この賞は私と一緒にリレーを続けてくれた仲間、私を支えてくれている友人、家族、そして今を一緒に歩んでくれる妻、明希美とともに受けるアワードだと思っております。みなさん、ありがとうございます。

私がリレー・フォー・ライフ(RFL)を初めて知ったのは2008年の暮れです。友人が横浜で開催されたRFLの動画を見せてくれました。「これ、24時間歩き続けるんだ」と言う彼の言葉に、私は心を揺さぶられました。
私は1995年に先の妻を乳がんで亡くしました。がんから妻を救えなかったことを引きずっていた私は、彼女と同じ境遇にあるサバイバーと呼ばれる人たちが、笑顔でトラックを歩く映像に釘付けになります。中には娘さんと思われる写真を胸に抱えて歩く老夫妻も。RFLに参加したいと思いました。
翌2009年のRFLJさいたま(初開催)に会社の同僚とチームを作り初参加します。雨の中も歩き続けて24時間を完歩したときの感動は今でも鮮明に思い出されます。がん患者さんを支援しようと意気込んで参加した我々は、逆に勇気付けられたのは自分たちの方だったことに気がつきます。
新城実行委員長との出会いも忘れることができません。彼がサバイバーの奥様の思いを叶えようと、二人で実行委員会を立ち上げたことを知った時、胸が熱くなりました。それから私は、毎年、首都圏のリレーイベントに関わることになります。

自分のRFLで大きな転機になったのは、郷里苫小牧へ戻り2016年にRFLを開催したことです。この開催には学生時代の友人が心強い支援をしてくれました。苫小牧ではRFL開催を契機に、がん対策推進条例、受動喫煙防止条例、無料がん検診、がん教育など、地域ががんと向き合うための追い風が吹き始めております。

そして2019年、私にも前立腺がん(ステージⅡ)が見つかり、サバイバーとなります。RFLで得た知識から、PSA値の上昇ががん進行を予期することだと理解して、がん告知も不思議なほど冷静に受け止め、主治医との治療方針についても納得の行く話ができたと思っております。ケアギバーから始まった私のRFLは、これからサバイバーとして再スタートすることになります。RFLには多くの人に感動と希望を与える大きなパワーがあります。RFLが目差す最終ゴールのため、サバイバーさんの「声」を伝えていくこと、RFLのファンを増やすこと、ゴールの「かたち」を明確にして、その行程を示すこと。それが私に残された時間でやるべきことだと考えております。