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「ひとりじゃない」を体感できた場所

2015年8月26日

今回は埼玉・リレー・フォー・ライフ・ジャパン川越のメンバーからの声を紹介します。47歳のとき乳がんが発見され、治療をする中でリレー・フォー・ライフを知ったという飯田さん。参加をきっかけにして、“キャンサーギフト”を受け取ったといいます。

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RFLJ2014川越で「チームがんサロン」として恋チュンクッキーを踊ったあと記念撮影。

2011年5月のある時、私は左乳房にしこりを感じました。
私にはたった一人の妹がいました。
妹も乳がんでした。早期発見であったにもかかわらず、抗がん剤・放射線治療を拒否し、代替医療に取り組み最初の手術から5ヶ月で再発、その8ヶ月後には全身に転移。
余命は1~2年と宣告されました。
妹の死後は母と私自身心を閉ざし、何を恨むわけでもなく、でも激しい喪失感と、どこにむけていいかわからない怒りと、何かが許せない思いで過ごしてきました。
そんな時間の経過の中で見つけたしこり。
「あ~、来たか」と直感でわかりました。
結果はやはり乳がん。
そしてそのころには、自分の中の何かが変わり「私は死んでいる場合ではないのよ。生きなきゃ」とショックを受けることも、落ち込むこともなく、主治医から「(治療を始めるのに)考える時間を取りましょうか」と尋ねられても「とっととやっちゃいましょう」と前向きに抗がん剤・乳房温存手術・放射線治療を受けてきました。
副作用は味覚障害、高熱、脱毛からくる寒気などそれなりに苦しみましたが、サブタイプがトリプルネガティブのため、2012年3月にすべての治療が終了。現在まで検診でも異常がなく過ごすことができています。

術後、病院の患者会に入りリレー・フォー・ライフの存在を知る機会を得ました。
「がん患者のためのなんたら・・・」患者会から送られてきたチラシを見ても、当時まったく理解できず、病院と患者会が共同でブースを出しているようだから、とりあえず行ってみようと家族で参加しました。
会場に到着すると受付から何とも言えないとても良い雰囲気がありました。
サバイバー特典の手形ができる(※1)と聞き案内していただき、当時術後8カ月、社会復帰ができず悶々としていた私は、たくさんの手形を見て「こんなにたくさんの仲間がいるのか・・・」「生きている何かが残せる」手形にそんな思いを感じました。
そしてフラッグを持ち、水上公園内をたった一周しただけなのに、何とも言えない爽快感。がんサバイバーであることが幸せなことのように思わせてくれる空間でした。

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RFLJ2014川越開会式のサバイバーズウォークから。

翌2013年も手形を残すこと、リレーウォークをすることを目的に1時間ほど参加。
RFLJ川越実行委員会はサバイバー自身が多く実行委員として動いていること。
RFLJの活動の一つ「がんサロン」でもウェルカムな雰囲気が人見知りな私の心を動かしてくれました。
2014年、「リレー・フォー・ライフのことをもっと知りたい」のこのこ川越実行委員会に連絡もなしに参加しました。
そこにはこんなにも熱い思いを抱いた人たちがいる所だったのかと、感動と感激、心が震えた場所でした。
そして気がつけばRFLJ川越のサポーターや実行委員会の方々と深くお付き合いできるようになっていました。
この年初めてオープニングから参加し、サバイバーズウォークを体験しました。
泣いている人、笑っている人、みんな仲間ひとりじゃない。
ステージでは「チームがんサロン」としてAKB48の「恋するフォーンチューンクッキー」を踊るまでになっていました。
そして2015年、自分自身が実行委員会に加入していました。
RFLをきっかけに、ともに泣き、ともに笑い合えるかけがえのない仲間「がん友」がいました。

2014年、78歳になった母も乳がんが見つかりました。母は術前ホルモン療法が効果を得て、手術、放射線とまるで何でもないかのように元気に乗り切ってくれました。
母も私と同じで、自分自身ががんになったことで、逆に元気をもらい明るく前向きになりました。そして私の中に最後まであった「許せない」思いが「全て許そうよ」に変わっていました。
大事な命、いつまでも妹のことを引きずることなく、自分自身ががんになったことで命の尊さを学ぶことができました。まさにキャンサーギフトでした。

RFLはがん患者だけでなく、家族や遺族も参加でき、想いを共有できる場所であること。RFLに関わった2012年から1年経った後に知ることになりました。
もしかしたら、この取組みに早く関わっていれば、妹の死後、私や家族の思いが外に向いて何かが救われたのではないかと思う気持ちと、でも私達にはきっと必要な年月だったのかもしれないという思い。
抗がん剤治療などに不安や苦しみを抱いている人、副作用に苦しんでいる人、大切な伴侶や家族を失った人たちに「ひとりじゃない」私達がいるよと魂の声で伝えたいと思っています。
自分自身がRFLに救われたように、多くのサバイバーさん、ケアギバーさんに自分たちにできることをこれからも。
今年はルミナリエまで参加しようと思っています。卒業された方々を思いながら、遅くなってしまったけど、姉として妹の卒業式を迎えてあげたいと思います。

(※1)サバイバーは今を生きる象徴としてリレーウォーク時に使用するフラッグなどに自身の手形を印します。

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プロフィール
飯田友美子(ゆみこ)
1964年10月東京オリンピックの年に東京都町田市で誕生。
のちに現在の埼玉県坂戸市に引っ越し。
2011年 47歳で乳がんが見つかる。
業務委託のIT講師として、職業訓練をしている最中のこと。がんと診断された翌日も何事もなく登壇。
1日しゃべりっぱなし、立ちっぱなしの仕事のため、がんの治療を開始前に休職。
現在はIT技術を活かした情報分析やWebサイトの更新などを業務にしている。
2012年 初めてRFLJ川越に参加。
2015年 RFLJ川越 実行委員会副実行委員長に指名されました。
今自分の目に映る不安な思い・孤独な思いを抱えているがん患者さんや家族に寄り添うこと、そしてかけがえのないがん友さんと一緒に生きることを大切にしています。