【最終回】転移の中で私を支えているもの

2016年3月24日

2007年から一度の中断を挟み、計4年にわたって続いてきた、「がんと生きる リレー・コラム」も今回が最終回となりました。芦屋から始まり、北海道、大分、八戸、福島、福岡、大阪大手前、岐阜、千葉、福井、徳島、愛知県岡崎市、鹿児島、栃木、宮城、宮崎、茨城、岩手、和歌山、広島、静岡、川越、室蘭、新潟、神戸、大分、計25の街のリレー・フォー・ライフの活動をされている方から原稿を寄せていただきました。これ以外の街でも開催されているので、ぜひつながってください! 最終回は、さいたま市の方からの寄稿となります。

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RFLさいたま会場にて。中央が筆者。

2006年、乳がん手術から間もない頃、自宅で何気なくつけたテレビ画面に映し出されていたのは日本で初のリレー・フォー・ライフが筑波大学のグランドで開催されている様子でした。
自分ががんである事を隠すこともなく、テレビカメラに向かい笑顔で手を振りながら歩いているたくさんのサバイバーの姿がありました。
その時、自分もあちら側の人になれたらいいなと漠然と思ったのでした。

いつかは参加者になりたいと思っていたある日、地元のさいたま市でも開催に向け動き出そうとしている人がいるらしい事をインターネットで知り、先ずは話を聞いてみようと、数人の方の会議に顔を出させていただきました。
その事がきっかけで実行委員になる事を決めたのを覚えています。

2009年が、さいたまでの初開催ですが、まだ全国でも開催地が少なく、リレー・フォー・ライフという言葉さえ知られておらず、さいたま初開催までは、とてもとても長く大変な道のりでした。
初回の実行委員の半数以上がサバイバーで各々の深い想いを感じました。

こうして私はがんとリレー・フォー・ライフとの関わりを深く持つ生活へと入って行きました。

活動するうちに、がんに関わるたくさんの知識や知恵をもらい、仲間にも出会うチャンスを得て、私の人生の大きな転換期となりました。

その後、毎年9月の開催に向け奔走する日々が5年程続きました。
さいたま会場は、多くのサバイバーやケアギバーで作るとてもアットホームな場です。

当日を迎えるまでには、多くの人の労力が必要ですが、とりわけ我々サバイバーが実行委員として当日を迎えるのは体力勝負でもありました。

回を重ねる度に、毎年この会場で出会える喜びを分かち合えるようになり、仲間も増えてゆきました。

当日の会場には、がん情報がたくさんあります。
がん専門の先生方のお話、障害年金やがんにまつわるお金の話、ウィッグのブース。
たくさんのサバイバーに、たくさんの正しい情報が届きますように。みなさんが上手く利用してくれたら嬉しいなと思いながらの活動です。

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会場にHOPEが輝きます。

共に活動した仲間が旅立った時など、寂しく悲しい気持ちでいっぱいになります。
本音で語り、心の内を見せ合い色々な想いに触れ、励まし励まされ今の自分がいます。
旅立った仲間の想いも繋げて行かなければなりません。

たくさんのメッセージが書かれたルミナリエを見ながら歩く夜は、昼間とは違った顔を見せてくれます。天国の友や家族へ、時に頑張っている自分にメッセージを書くこともあります。

私の母は乳がんからの肺転移で34才で3人の幼な子を遺し亡くなりました。
私には産みの母の記憶がありません。
それから幾年月が流れ、我が娘が私の母が亡くなった年令になり、子を持つ母となっている事に、間違いなく継がれている命があり、これこそがリレー・フォー・ライフ(命のリレー)であると思わずにはいられません。
その年のルミナリエは、母へのメッセージを書きました。

私がサバイバーになってから新しく始めた事が3つあります。
やってみたい事は、躊躇する事なく挑戦しようの精神で、退院してすぐに始めたのが以前からやってみたかったサックス。
次に始めたのが同じ病気の人や同じ趣味の人と出会い情報交換するインターネットのSNS。
そしてリレー・フォー・ライフの実行委員です。
どれもこれもが新鮮で私の生活に大きな活力を与えてくれました。

後にこの3つの全てが繋がりをみせる事となったのです。

私の所属する吹奏楽団「さいたまスーパーシニアバンド」には100人のシニアがいます。その仲間が演奏に来てくれたり、歩きに来てくれたり、救護の手伝いに来てくれたりと様々な形で協力してもらう事となりました。
また、SNSで実行委員に興味があると言ってくれた若者と実際に会い、今では実行委員として大きな戦力となり活動してくれています。

私の乳がんはその後2013年の暮れ、咳が続き歩くのにも息苦しく検査の結果、両肺への転移である事が分かりました。胸水で苦しく話す事もままならず抗がん剤、酸素、モルヒネが欠かせない日々に自分の命の終わりを感じずにはいられませんでした。

その後も肝臓、骨その他の部位にも転移は続きましたが、なぜか精神状態は常に穏やかでいられます。

私を理解してくれる家族や仲間がいてくれるお陰です。

リレー・フォー・ライフへの参加と、定期演奏会での演奏はこれからもずっと続けてゆきたいと思っています。
がんと共存しながら自分らしく生きてゆけたら嬉しいです。

2006年、あの時テレビで観たつくばでのリレー・フォー・ライフで、がんである事を隠す事なくカメラに手を振り笑顔で歩いていた方々のあの姿。
あんな風になりたいと思った自分。

十年が経ち、あの皆さんに少しでも近づく事ができたでしょうか。自分に問うてみます。

今なら自信を持って言えます。きっと近づけているはず、と。

リレー・フォー・ライフから私の人生が変わった様に、多くのサバイバーが参加したい場所、何かを得て帰ってくれる場所であったら、こんな嬉しい事はありません。

プロフィール
楠 章子
2009年~2013年 リレー・フォー・ライフさいたま実行委員。
2006年乳がん。手術、放射線治療、ホルモン治療5年間。標準治療を終えるもホルモン剤を変えて治療を続けたが、薬が合わず2011年無治療となる。
2013年12月両肺転移。
その後も肝臓・骨・その他へも転移。エンドレスで抗がん剤治療中。
抗がん剤は耐性ができたり、効果がなかったり、副作用により使えなくなったりと、今は4種類目となりました。声帯を動かす反回神経を覆う膜にも転移があるらしく、思うように声が出ない事が不便ではありますが、今は2006年から始めたサックスで吹奏楽団(さいたまスーパーシニアバンド)に所属し音楽や仲間との交流を楽しむ日々です。
自力での外出が難しく、家族や仲間の力を借り、病とも共存しつつの生活です。

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