神波やす江さん(RFLJ静岡:ケアギバー)
*** 受賞のコメント ***
ケアギバーとして第1号の受賞。身に余る光栄です。
シュウさん(2010年GHOH認定)と出会い、たくさんの人と繋がり、助け合い支えあい一緒に歩いてきました。
リレーの仲間と共にこの賞を分かち合います。本当にありがとうございました。
*** マイストーリー ***
34歳の息子が大腸がん告知を受けたのは、私が57歳の時。そのひと月位前から息子の体調がおかしいのに気づき、無理やり検査を受けるよう勧め、その翌朝、一秒でも早く結果を聞きたい思いに駆られ病院に電話しました。
「すぐに来てください。」との返事。『やはり…』という不安を胸に抱きながら病院に向かうと、医師から告げられたのは、「大腸がんです。すぐに手術をした方が良いです。息子さんには私から説明します。」
病院からの帰途、本人より先に告知を受けてしまい、頭が真っ白になり泣きながら夫に電話をしたのを覚えています。
家族みんなが不安を抱えている中、息子はがんと闘う意思を表わすためにブログを始めました。同じ病を闘っている仲間たちからの温かい励ましのメッセージは、家族のどんな言葉よりも、力強く胸に響いたようです。
がん情報をネットで集めていた私は、息子に内緒で彼のブログも読んでいました。そして、ある肺がん患者さんのブログに繋がりました。まさかその時は、その男性が、「日本でリレー・フォーライフを開催しませんか!」と呼びかけ、実現させる存在になるとは、夢にも思っていませんでした。
息子が抗がん剤の治療中、テレビでアメリカのリレー・フォー・ライフが放映され家族で見ました。
笑顔で誇らしげに歩く人たちのTシャツの背中に「I’m Survivor」の文字が。そして、笑顔と拍手、歓声で迎えている人々の姿を見た時、がん難民と言われる人たちが話題になっていた日本の現状と比べ、アメリカと日本のがんに対する認識の大きな違いに衝撃を受けました。
日本でもリレー・フォー・ライフがあれば、世間の偏見が変わるかもしれない。日本で開催できればいいのに!と思っていた矢先、ブログで知り合った男性が「日本でリレー・フォー・ライフを実現しませんか」と、ネットで開催を呼びかけたのです。
2005年の夏、居ても立っても居られない気持ちで、すぐさま返事をしました。「一緒にやりたいです!」
三浦さんの呼びかけで各地から集まった若者に交じり、主婦のリレー活動が始まりました。
若者たちは息子と同年代が多く、サバイバーの自分が動かなければ何も変わらないと、中には闘病中にも関わらず熱い想いを持った人たちが、日本でリレー・フォー・ライフ開催を実現させたいと力を尽くしていました。
地方に住んでいる私は、毎月、新幹線に乗って新横浜や東京の会議に参加すると、「遠くから来てくれてありがとう。」と声を掛けられ、その笑顔にパワーをもらって楽しく活動できました。
このつくば開催で繋がった若い仲間の協力が、その後、静岡でリレー・フォー・ライフ開催する時には、大きな力と支えになってくれました。彼らがくれたご縁で新しい仲間と出会え、今の静岡実行委員会を支えている信頼できる仲間たちと現在も活動が続いています。
リレー・フォー・ライフのおかげで、リレーの娘や息子がたくさんできました。
中には、残念ながら卒業された人たちもいますが、彼らの想いを引き継いていくことも、同じ一つの目標に向かって活動できた私の役目のような気がします。
2年前、息子は10周年のセカンドバースデーを迎えることができました。自分が告知を受けた年に生まれた妹の子どもを我が子のように可愛がり、彼の生きる目標の一つになっています。孫たちも、毎年、リレー・フォー・ライフへの参加を楽しみにしています。
私の最大の課題は、治療の後遺症もありいまだ親と同居中の彼を独立させることです。
母としての願い『希望』です。