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命はいっぱいに輝いている

2007年11月19日(月)

リレー・コラム3人目は、前回の今仁さんと同じく、リレー・フォー・ライフ芦屋の実行委員を務められた竹内 香さんです。

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リレー・フォー・ライフ芦屋の打ち上げで、竹内さんと今仁さん。

スタッフとして参加した「リレー・フォー・ライフ芦屋」が終わり、父の一周忌も過ぎました。

遠く離れて暮らしていた父から「がんだと言われた」と連絡があったのが昨年の6月。その声は、とまどいと不安でいっぱいでした。
悩んだ末、父はひとり娘の私の住む街での闘病を選んでくれました。離れて暮らしていた時間を埋めるように、毎日父と語り合った日々。
父は私と私の娘達に多くを教え、遺して、5ヶ月後に亡くなりました。

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最初の手術の前の日の父と娘2人です。

娘がお見舞いに行くと、父はいつも笑顔になりました。下の娘(左側)は、父の手術後の洗濯物を嫌がりもせずに洗ってくれていました。

もっともっと、父と、父のがんと長く向き合っていくつもりだった私は、今まで味わった事の無い空虚感でいっぱいになりました。形だけ元の生活に戻しても、それは形だけ。何ひとつ、元には戻らないのです。

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父が亡くなる前の日、上の娘が父にサックスを吹いてあげていました。
母の影で父が見えませんが…。

この時、父は手をあげるだけでも相当大変だったと思うのですが娘の演奏に拍手を贈ってくれました。
そのあと父は病室へもどって、好きなジュースを「一口、二口」と数えながら飲んで、私が「やだ、数えてるの?」と言ったら声をたてて笑ったのです。父とふたり、笑ったあの時間はとても幸せな時間でした。

そんな時、父の闘病中テレビで見ていた「リレー・フォー・ライフ」が関西で開かれようとしている事を知りました。遺族の立場でもよいのだろうか、こんな自分でもできることがあるだろうか。思い切ってスタッフの方にメールしたところ、届いた返信に涙があふれました。

「ぼくも遺族です。もう元の自分には戻れないと思っています」

ああ、自分だけではなかった。ひとりでは、なかったんだ。

こうして出会ったリレー・フォー・ライフの仲間達は、こころの底から優しくて、しなやかな強さを持ち、そして自分の弱い部分にも向き合ってきた方ばかりでした。

そんな仲間達と夢中で準備して迎えた「リレー・フォー・ライフ」当日。

父と同じ病の方が作られた“竹とんぼ”を、懐かしそうに手にとり、孫に手渡すおじいさん。
家族で折ったのだと、千羽鶴を箱一杯持って来て下さった親子。
静かに腰掛け、サバイバーの方が作られた絵本に読みふける方。
ルミナリエの灯に浮かぶ、胸に響くメッセージの数々。

小さなシーンのひとつひとつにも、参加者のみなさんの深い想いを感じました。

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下の娘は、リレー・フォー・ライフ芦屋での黙祷のベルを、
学校のみんなと担当しました。

終了後、車いすで点滴をされながら、ご家族の方と参加してくださった男性の方がいらっしゃったことを知りました。男性は笑顔で車いすから立ち上がって手を伸ばし、募金をして下さったのだと、スタッフの一人が興奮気味に伝えてくれました。

その男性の方と、父の姿とが重なりました。がんになんか負けない。
自分の力で起き上がり、立ち上がり、ほら、生きている。
家族がそばにいる。そこに笑顔がある。命はいっぱいに輝いている。

父も、最後の最後までその命の輝きを失うことはありませんでした。
一周忌が過ぎた今、そんな時間を遺してくれた父と、ホスピスのスタッフのみなさんに改めて感謝の気持ちでいっぱいです。

そして、私自身も緩和ケアや、ホスピスケアについて少しずつでも学びながら、前を向いて歩いていきたいと思えるようになりました。
元の自分には戻れないけれど、これからの自分も好きになれるように。

病気の事も何でも話せる、でも話さなくてもいい。ほんのちょっとしたひと言に勇気をもらえる。きっと大丈夫! と思える。
そんなリレー・フォー・ライフの“空気”がどんどん広がって、いつか社会全体の“空気”になる事を夢見て。

まだ私は、リレーのバトンを受け取ったばかりです。

竹内 香
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プロフィール
竹内 香さん
京都府在住。昭和39年新潟県生まれ。音楽教室主宰。
昨年父を大腸がんで失う。
リレーフォーライフ芦屋では、父の闘病を一緒に支えてくれた二人の娘と共にスタッフとして参加。
主宰する音楽教室のみんなも募金や千羽鶴で協力してくれました。
リレーフォーライフが大きな心の支えのひとつです。 Anzengruber