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北海道でも絶対リレーフォーライフを実現させたい

2007年12月03日(月)

リレー・コラム4人目は、リレー・フォー・ライフ北海道の実現に向けて動き始めた金子明美さんです。

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今年の夏に発見した近くのひまわり畑です。
身近なところにこんなに素晴らしい花があるのに普段は気づきもしませんでした。
幸せがこんな近くにあったかのように。

私は36歳で大腸がんになり4か月後には再発をし、余命3か月を告知されました。
その時、主人、息子(小学5年)、そして娘はまだ6か月でした。まさに「天と地」です。私は働いていましたが、退職。。。社会からの逸脱感や、がん患者が抱く思い「どうして自分がなったのだろう」そう何度も思いました。でもとにかく生きたい、少しでも家族の側にいたい一心で触った事もないパソコンに挑戦、「がんサポートキャンペーン」を知り、そこから私の生き方が全く変化していきました。いつも受け身でいた自分を解放し、社会活動へ参加のきっかけになったんです。

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何かを形に残したくて初めて娘の浴衣を作りました。ギリギリお祭りに間に合いました。

そして今年、東京のリレー・フォー・ライフに主人と娘を連れての参加。。あいにくの雨の中でしたが、その雨が私の思いを更に深くさせてくれたのかもしれません。いつもネットでしか交流のない仲間でしたが、本当にいつも側にいたように暖かく、楽しい時間を過ごせました。帰るときもみんな雨の中見送ってくれ、本当に感激ばかりしていました。

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「リレーフォーライフインジャパン東京」に夫婦で参加しました。北海道よりも寒く2日間ずっと雨でしたがそんな困難な状況だからこそ達成感もいっぱいでした。

そして、ただただ純粋に、「北海道でも絶対にやりたい」そう思いを突き動かしました。その思いに集合したリレー・フォー・ライフ北海道実行委員会の委員の方々には本当に感謝しています。
北海道は「検診受診率」「がん死亡率」共にデーターは悪いのに道民の「がん」への意識はまだまだ低い状況です。なので最初からリレー・フォー・ライフに大きく関心を持ってくれることよりも、小さく始めてやがて広い北海道のあちこちで開催できる事を構想しています。北海道はまずは「がんを知る事」から始め、リレーの一歩の大切さの意味を理解して頂きたいと思います。

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副作用ど真ん中の日の親子遠足。吐き気が最高の中お弁当を作りました。でもこんな娘の喜ぶ顔を見ると嬉しさの方が大きくて、生きている感謝に浸ります。

私の現在の状況は肝臓や胸のリンパ、膀胱の後ろや腹膜の播種と本当にあちこちに「がん」が存在しています。二週に一度の化学療法も本当に苦しいですが皆さんに支えられながらこの事が原動力になって生きています。原動力があって生きていける。最初に抱いた思い「どうして自分ががんになったのか?」きっとそれはこんな社会活動をするための「使命」だったと言う事に気付きました。患者の真髄を語れる、進行がん患者の自分だからこそ、出来ることなんだと。。
今の自分は今までの生きてきた中では一番輝いていると自負しています。そんな背中を「そっと」見守ってくれている家族。。。「感謝」以外の何物でもありません。だから自分にできる事「食事」「洗濯」「掃除」はしたいのです。家族と一緒にテーブルを囲みたいんです。「美味しいね」そんな何気ない会話が本当の幸せです。 だから私は生きたいんです。だから活動するんです。
「やりたいことをすればいいんだよ」と主人はいつも言ってくれます。杖をついて歩きながらも私はまだ「地」に足を付けて歩いています。空の青さを確認できます。まさに波乱万丈なのかもしれません。でも「がん」になる前は思わなかったんです。「生きている」って言う事を。。。今は自信を持って言えます。「私は生きています。この世に必要とされているから生きています」これが私の「生きている」なんです。きっと気がついたらお婆ちゃんになっているかもしれない。私を生かせてくれる人が沢山いるから。。。

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プロフィール
金子明美さん
生まれも育ちも現在も北海道在住の39歳。余命3か月の告知後仕事を退職したが、社会に貢献したい、生きた証を残したいと患者会「フォーエバー」を設立し、2007年東京のリレー・フォー・ライフに参加直後に自分の原動力に拍車をかけるべく北海道でのリレー・フォー・ライフ実現にむけてスタートする。

目指すは広い北海道で「がん」をもっと知ってもらう事。活動ができるのは進歩した現代医療のおかげでも二週に一度の抗がん剤は辛い。しかし生きる原動力は活動で、家族の為に生きていける事に感謝する日々。

(編集部より)
その後、金子さんは2008年、2009年と北海道室蘭でリレー・フ ォー・ライフを実行委員長として実現されるも、2010年1月16 日に永眠されました。
心からのお悔やみを申し上げます。
2010年2月