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夫から妻への言葉

2007年12月17日(月)

リレー・コラム5人目は、このコラム公開日が誕生日。リレー・フォー・ライフ北海道の実現に向けて動き始めた金子明美さんの夫、金子健二さんです。

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毎年この桜の木の前で写真を撮ります。それが小さな家族の今の目標でもあります。

「明日行ってくるね」と妻は時折突然様々な活動でいなくなるときがあります。

最初はあんな体で動きまわって…と本当に心配が絶えませんでした。
でも妻は帰ってくるといつも目が輝いています。
「いつどうなってもおかしくない」と言われてる体にも関わらず、妻は今紛れもなく生きています。
普通の人よりももっと大きく生きています。
夫として本当はそんな妻の行動を止めなければならない部分もあるのでしょうが、妻のあの輝く目を見ると私にはどうにも止められないのです。
だから自分はいつも側に居て守ればいいと思っています。

妻が4年前に「余命3か月」と言われ、当初住んでいた札幌から2時間離れた実家の近くの病院へ転院すると決めた時も、仕事を辞める事にはなんのためらいもありませんでした。
それまで月の半分はほとんど出張で、妻には普通の夫の半分の事しかしてあげていなかったからです。

だからもう離したくないと思いました。

妻は余命告知後からずっと睡眠剤を服用しています。怖く眠れなくなったようです。
抗がん剤が終わった後は決まっていつもネガティブになり
「朝起きて体が硬くなってたらどうしよう」
「私、まだ伝えてない事がいっぱいある」と泣きながら訴える事も多々あります。
副作用の苦しみで
「もうやりたくない、どうして生きなくちゃいけないの?」と夜中に寝言で叫んだりもします。
そんな言葉を聞くのが正直辛いです。

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パパと娘でパン作りです。少しでもママには休んで欲しいと。

でも本音を隠して頑張っている姿を見るのはもっと辛いです。
そんな辛い状況でも、仕事から帰ると夕飯が用意してあります。
洗濯も済んでいます。

妻は横になりながら
「ごめんね」といいます。
いつもいつも
「ごめんね」といいます。
どうして妻は謝らなければならないのだろう。
病気になって「ごめんね」って、自分が好きでなったわけでもないのに妻は謝るんです。

泣きながら謝る時もあり、4歳の娘は
「ママちゃんはな?んにも悪くないよ」と妻の頬を伝う涙を拭いています。

息子はそんな状況を見るのも辛いんだろうと思います。 部屋に入ってしまうのです。

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また写真を撮る場所の目標が決まりました。来年の夏もまたここで写真を家族で撮ります。

妻を支えてくれている皆さんの力は絶大です。
本当に感謝しています。
私達家族の力だけでは微力で妻は起き上がる事もできない状況かもしれない
しかし妻はまた今日も朝起きてキッチンに立っています。
コーヒーを入れてくれます。
大きな目標「リレーフォーライフ北海道」を目指して
私にできる事は妻が生きている間、笑顔になる環境を作る事
そしてそっと見守る事

世界でたったひと組の夫婦になった。愛し愛されているのだから

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プロフィール
金子健二さん
出身は群馬県の44歳、中学生で母、高校生で父を病気で亡くした。だから幸せな家庭を作る事に大きな夢を抱き、妻と結婚し、長男、長女に恵まれて、夢が現実になった事を感謝していたが、妻がまさかの余命3か月の告知の大腸がんになった。 精神的にも肉体的にも家族の苦痛は想像を超える。それでも笑っている妻の顔が大好きだから心から支えたいし、一番のサポーターでいたい。妻はまだまだ生きると信じてます。