2008年11月06日(木)
昨年12月にリレー・フォー・ライフの北海道実現へ想いを、このリレーコラムで語ってくれた金子明美さん。
今年の夏、その想いは結実しました。
“いまを生きる”金子明美さんからのメッセージです。
みんなの手形が押されたサバイバーフラッグを手にサバイバーズウオーク。
今生きている自分を誇りに!
リレーフォーライフ北海道実行委員長 金子 明美
サバイバーの方の目がこんなにも輝いたイベントってかつてあったろうか?
支える人たちがこんなにも笑顔になって歩けるイベント、心から喜びを得るイベント。
私は、北海道での開催にあたって関わった全ての人に感謝しています。
道外から集まってくれた友達もいました。
人のつながり、一人では生きていないと言う実感。
本当にリアルに感じた24時間でした。
お腹の痛みも、背中の痛みも、興奮の中で忘れていました。
反省点も数えきれないほどありますが、最初から100%なはずもなく、しかしこれほどのエネルギーを感じたことに100%に近い満足感も覚えます。
「この場所でイベントをやってくれてありがとう」
若いサバイバーの方が言いました。
「患者さんて健康な人よりも輝いている」
と言った健常者の若者もいました。
杖をついて歩いていたお爺ちゃんはいつの間にか杖を持って歩いていました。
患者になってもできることがあると言う事、社会の一員であると言う事
がんになったけどこの世に必要として生まれてきた事は紛れもない事実
生まれてきてよかった
お父さん、お母さん、ありがとう
私のわがままでイベント開催までは家族との時間までも割いてきました。そんな事も黙って許してくれていた大切な大切な家族。
優奈、元気いっぱい歩いてくれてありがとう
お兄ちゃん、人一倍恥ずかしがり屋なのに来てくれて、歩いてくれてありがとう
そしてパパ・・・
ずっとずっと支えてくれてありがとう
8月31日、北海道のリレーフォーライフ、終わりではなくスタートしました。
あの光輝いていた「HOPE」は今でも胸の中で輝いています。
24時間、皆さんが歩いてくれた勇気に感謝し、私はこれからも最期まで頑張ります。
今生きている事に感謝して。
リレー・フォー・ライフ室蘭会場。ルミナリエの様子。
プロフィール
金子明美さん
生まれも育ちも現在も北海道在住の39歳。余命3か月の告知後仕事を退職したが、社会に貢献したい、生きた証を残したいと患者会「フォーエバー」を設立し、2007年東京のリレー・フォー・ライフに参加直後に自分の原動力に拍車をかけるべく北海道でのリレー・フォー・ライフ実現にむけてスタートする。
目指すは広い北海道で「がん」をもっと知ってもらう事。活動ができるのは進歩した現代医療のおかげでも二週に一度の抗がん剤は辛い。しかし生きる原動力は活動で、家族の為に生きていける事に感謝する日々。
(編集部より)
その後、金子さんは2009年もリレー・フォー・ライフの実行委員長を務められましたが、2010年1月16日に永眠されました。
心からのお悔やみを申し上げます。
2010年2月