リレー・フォー・ライフ・ジャパン広島

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2023年09月30日

がん友のエッセー

RFL広島2023無事終了(2023年9月23日)

 「どうしてなのだろう、RFL広島は、尾道と広島で交互に開催することになっているが、広島で開催するときは実行委員がなかなか集まらない。県の西部の方が大きな街があり、サバイバーやケアギバーも多いだろうに」実行委員会が開催されるごとに思っていた。今年も主な役割は東部の人たちで担うことになった。

 九月十六日、息子一家が、帰省。孫と会うのは久しぶりなので、楽しく過ごしたいが、十七日の朝、広島へ出発。孫は私が駅に行くのを見送ってくれた。

 広島駅に到着。「おっ、キティちゃんの新幹線が停まっている。幸先いいぞ」写真を撮る。集合は広島大学病院広仁会館に十時。まだ時間があるので、今夜泊まるホテルの場所を確認に行く。

 九時三十分頃広仁会館到着。十時、実行委員長のあいさつ、そして会場の写真を撮り、作業開始。私もリフレワックス清掃の時、写真を撮ってから机・いすを外に出して行うので、これは大切なこととよくわかる。

 私の担当はサバイバーフラッグ。机の上に新聞紙をしき、その上にフラッグを置く。横にペンキをとりあえず四色並べる。薄い手袋も置いておく。がんの治療中の方、経験者に手袋を付けてもらい、ペンキを付け、フラッグ上にしっかり手形を付ける。周りにマジックでメッセージを記してもらう。

 このフラッグは開会式後の一斉行進時、先頭の人が掲げて行進するので、早く作成する必要あり。準備ができると実行委員、来場者に向け「サバイバーフラッグにご協力を!」と呼びかける。コロナ禍になると、参加する人が少なく、やっと一枚。
コロナ禍前は二枚作成していた。それでも「私にもさせてください」と来られる方がいたので、「申し訳ありません、時間がないのでメッセージだけお願いします」と呼びかけることもあったな。

 さて、開会時間十三時が近づいたので、会場二階へ上がっていたら、「希望の会」轟理事長が来場。早速挨拶に。私は「希望の会」会員。そして理事長は昨日岡山の催しに参加されたので、「広島にも来て、講演してもらったら」と私が提案。

 挨拶をすると私に希望の会のTシャツを渡された。「チーム紹介の際はこれを着てください」「了解しました」

 開会式は無事終了。その後チーム紹介。希望の会のTシャツ着用の私は会長&京都から来られた会員計三人で並び、舞台に上がる。いつも府中から一人で参加の私は、チーム紹介に参加は初めて。感動する。

 チーム紹介が終わると一斉行進。サバイバーズフラッグを実行委員長に手渡し、もう一人の実行委員計三人で行進。大会議室とはいえ、グランドのようには広くないので フラッグを広げては行進しにくいところもあるが、楽しんで行進できた。その間、希望の会は二人で行進。申し訳ない。

 さて、その後は講演や音楽。十五時より松尾貴臣さんのギター弾き語り。昨年に引き続き、千葉から来てくださった。この人のミュージック、私の好きな演歌ではないが、好みだ。今回も熱演。意気に感じる。

 特に「まる」という曲が気に入ったので、終了後、CDを買いに行く。「久しぶりです」と挨拶し、CDを購入。名前を言わずとも、「皿海さんへ」とサインをしてくださった。シンガーソングライターという職業上、多数の人に会うだろうが、私の名前を憶えているなと感心する。「皿海」は備後圏を出ると接することの少ない名前だけに。

 十六時、いよいよ「希望の会」理事長轟浩美さんによる講演「希望に託した思い」が始まった。スキルス胃がん四期の夫を支えようと、インターネットでいろいろ調べ、それを実行する。しかしそれは夫を弱らせ、「もうやめてくれ」と言われる。

 エビデンスの無い治療法をやっていたため起こったこと。そこでインターネットで探す場合の注意点等いろいろスキルス胃がん以外の方にとっても大切なことを講演された。

 スキルス胃がんについては、私がルミナリエステージにて第一回以来、十五回連続でスピーチしているが、「ほかの方にも話をしてもらえたら」と長年思っていただけに、轟会長に今回講演していただき、感無量。

 さて、十八時。ルミナリエ点灯。そしてルミナリエステージだ。今回は三人がアピールだが、私の順序は最初。スキルス胃がんについての発表だけに、今回は轟さんの反応が気になる。時々見つめるとうなずいておられる。よし、いいぞ。

 私の発言の要旨を記す。「二〇〇六年一月、岡大病院に入院し、検査。腹膜播種したスキルス胃がん、腹水もあり、そこにもがん細胞がある。現状では手術ができないので抗がん剤による治療を優先。抗がん剤がよく効いたので八月二十八日、胃・胆のう・脾臓を全摘。ホッとしたのも、つかの間、腸閉そくを起こしており、九月九日腸閉そくを治す手術。

 十月になり退院するが、『五年生存率は十%程度。元気になった人の前例はないといってもいい』と言われる。これを聞き、『前例がなければ、私が前例となるような生き方をしたい』と思う。

 そして今回十七年目の記念日を迎えた。その間、職場復帰し、フルマラソンを五回完走。前例となるような生き方をしたといってもいいのでは」

 会場に来られたほとんどの方に拍手をいただく。また、スピーチ後、「よかったよ」「元気をもらったよ」等声をかけていただくと、とてもうれしいし、元気が出る。

 RFL広島が開催されて十五年。幸運なことに私は十五回連続してルミナリエステージでアピールの機会をいただいている。だけど、再発転移はないので、毎回ほとんど同じことを言っている。それだけに、皆さんの反応が気になる。

 その後はミュージック。日暮さんは十五歳のシンガー&ダンサー。とてもうまい。

 PRANKPLANさんはとても楽しく、そして激しい曲を演奏された。広島走ろう会のメンバーを中心に席を立ち、曲に合わせて踊り始める。やはり走っている人はノリがいいし、元気いっぱいだ。だけど、私も走るのは好きだが、ここはおとなしく、椅子に座って曲を聴く。この違いは何だろう。

 予定通り、二十時になったので、今日は終了。後片付けや、明日の打ち合わせを済ませ、二十時三十分ごろ広仁会館を出る。今夜は広島駅近くのホテルに宿泊だが、実行委の中に同じホテルで宿泊される方がいたので、車に同乗させてもらう。バスで行くより早いし、間違いなくホテルに着くので大助かり。

 翌朝も同じ車で広仁会館へ。九時から講演開始だが、準備はほぼできている。まずは「知っておきたい抗がん剤の副作用について」尾道総合病院の比良先生。「私の場合、抗がん剤治療中体毛はきれいになくなったが吐き気とか、ほかは特になしだったなあ」と思い出しながら聞く。

 九時三十分「最期を楽しむ」お元気クリニック岡原院長。この先生は着ぐるみ着用で訪問看護を行ったり、ハグしたり、写真を撮ったり。誰にでも訪れる最期を楽しんで過ごせるようにされている。

 実行委員長に「今回何を取り上げたらいいでしょう」と質問されたとき、「グリーフケアはどうでしょう」と私が応えたことも関係しているのかと思い、真剣に聞く。

 そのほか、西村ヒロ&粟村マサルさんの「ハーモニカ&タップ」西村さんは肺がん経験者。だけど、自分の肺がんは意識せずに活動されている。

 そのほかブースでは、私と同じく主として精神障害者が利用する「NPO法人パンダハウス」や、乳がん患者会の「福山アンダンテ」「のぞみの会」「笑い文字」「伝筆キャラバン」「名前のことはな書」さん等が参加されていた。

 すべてが終了し、一斉行進し閉会式。「今年もやったぞ」という達成感とともに記念写真。ただ、久しぶりのリアル開催。参加者がコロナ前に比べれば少し少ない。まあいい。これから編集が終われば、ユーチューブで見ることができる。ユーチューブでの参加者がどれくらいおられるか、注目したい。

 紙面の都合上、また私の記憶のあいまいさにより、内容については詳しく載せられなかった個所もある。ユーチューブに期待してほしいことを添えておきます。