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2024年08月09日

映画「あんのこと」より

映画「あんのこと」より(2024年8月9日)

 「へー、『あんのこと』か。平凡な題だなあ」この映画について最初に出くわした時、そう感じた。だけど内容についてインターネットで調べたら壮絶な内容のようであった。

 パンフには「少女の壮絶な人生を綴った新聞記事を基に描く、衝撃の人間ドラマ」とある。そして、その裏面には「はじめて、生きよう、と思った」と記してある。もう見に行くしかないよな。

 八月四日、シネマ尾道に行き映画を鑑賞する。まず、「『あんのこと』は、実際にあった事件に基づいて作成した映画です」という趣旨の文章が出てくる。「きっと、最後になってこの文章が重い意味を持つのだろう」という気持ちを持たせる。

 まずはラブホテルのシーンから始まる。男と金の支払いをいつするかということでもめている。初めての売春は十二歳。それも母の指示により行う。一家の暮らしを支えるため、希望も絶望も感じず行う。

 昭和生まれの私には、とてもショックだ。若い女性が身体を売るという行為自体がショックなのに、それを指示したのが実の母、何だかやりきれない。

 ただ、そうしなければ生きていけない生活。足が不自由な祖母、母、そしてあんの三人暮らし。家の中は散らかしっぱなしで足の踏み場も少ない。

 二千十八年、あんは初めて警察に捕まった。一緒にラブホテルに入った客が覚せい剤により昏倒してしまった。従業員に顔を観られたあんは逃亡できなかった。

 この事件であんは多々羅という一風変わった刑事と出会う。「警察でも力になれることはある。シャブをやめたいと思う気があるなら、ここで話したほうが楽になれる」

 一か月後の保釈日、拘置所の門の前で多々羅は待っていた。一緒に入ったラーメン屋で多々羅が主催する「サルベージ赤羽」という薬物更生者の自助グループの冊子を渡される。あんはそこに通い始める。

 私は「アスク・ヒューマン・ケア」が発行する「様々な課題を抱えながら、より自分らしく生きたいと願う『あなた』を応援する雑誌」Be!を定期購読している。薬物・アルコールといった依存症を抱えた人の生き方。またその病院、自助グループなど大体のことはその雑誌で知識を得ている。壮絶な人生を生きるあんのこと、冷静に受け止められるかなと思うところがある。

 だけどやはり子供のころから母による虐待、不登校、売春と社会の不合理をまともに受けて生きてきたあん。

 多々羅の知り合いの週刊誌記者桐野の紹介で介護の仕事が見つかり、新しい生活がスタート。そこで一生懸命働き、祖母の生活をいつかはサポートと思うあん。住まいもシェルターマンション(DVやストーカー被害にあった女性が生活する場所)。そこでの生活があんにとって最高の幸せだったかもしれない。

 だけど、コロナ禍によりパート従業員は解雇され、生活は一変。突然隣の住民が「子供をしばらくあずかって」と置いていく。他人の子どもとの二人の生活。そんな中であんを探していた母と出会う「祖母がコロナらしい」と言いあんを元の団地に戻す。あんが外出していた時、母は「子供のなき声がうるさい」と役所に連絡し、引き取ってもらう。あんはもう絶望。自殺しかない。うーん、これではセーフティーネットのある社会と言えるのか。いろいろ考えさせる。