「復生あせび会50年の歩み」を読んで(2025年11月29日)
「いいところだなあ、建物の前には広い芝生広場があるし、天気が良い日は富士山がみえる」私が初めて御殿場荘に行った時の思いだ。
娘は小学生のころ、転ぶと大きな紫斑ができていた。病院で診てもらうと「特発性血小板減少性紫斑病(ITP)と言われた。初めて聞く病名であり、びっくりだ。血液中の血小板が正常範囲より減少しているため、ちょっとした刺激で血液が漏れる可能性があり、治りにくいという。だから、学校で行う体育の授業も血小板が減少しているときは休まざるを得ない。
どうしたものかと右往左往。そんな時保健所で「あせび会便り」を紹介していただき、電話をしたのがあせび会と我が家とのつながりの第一歩。
あせび会は佐藤エミ子会長の存在抜きには語れない。そこでまずは佐藤会長のプロフィールについて記す。1953年に上京し、看護師、医事管理師として病院勤務。63年発病し膠原病・筋無力症の診断を受ける。自らが難病であるにもかかわらずあせび会を立ち上げた。
あせびは昔は畑の境界として植えられたり、風よけとして多く用いられたりしていることから、一人で悩み苦しんでいる難病患者が集まって、励ましあい、助け合って社会生活から落ちこぼれないようにということで「あせび会」と名付けられた。
御殿場荘の集いに行くと、同じ難病の方と会うことができるし、自分とは違う難病者との交流もできる。また、食事の時間以外はほとんど自由なので、ゆっくり話し合うことができる。娘と同じ病気の人とも知り合うことができ、アドバイスももらった。
また、近くに神山復生病院があり、御殿場高原時之栖(ときのすみか)もある。神山復生病院は民間としては初めてのハンセン病病院として出発した病院であり、あせび会にいろいろ協力してくださっている。
また、御殿場高原では12月の集いの際にはイルミネーションのトンネルをくぐりに多数で行っていた。地ビール・チーズもおしいし、催し物も多数あるようだった。
このような集いだが、最初はお正月から始まった。家族団らんの風景がテレビで映し出されるが、身内のいない孤独の難病者はお正月が苦手。そこで同じ思いの難病者同士が集まり、「他人家族」ということで過ごしたという。
私が勤務する障害者施設でも同じく、孤独な障害者は連休が苦手という。よくわかる。
佐藤会長は、「一度出席した会員さんのほとんどは、自らの持つ障害の重さを意識するのではなく、他の人より優位な部分も発見し、自分を再認識し、強くたくましく生きていくことは、現代のような社会の中では素晴らしいことだと思います。自らも病気や障害を持ちながら、真に僚友のために泣き、笑う姿こそ、最も美しい人間の姿ではないかと感ずる日々です」と述べておられる。この思いこそ、あせび会の大切な思いだと思う。
ここで出会った難病者・その親・ボランティアとして参加した医学生(現在は立派な医師になっている)たちと今でも連絡を取り合っている人がいる。
また、私がスキルス胃がんになった時は、がん体験をした職員・難病者・医学生などからいろいろ助言をもらった。
本当に、御殿場荘に行くと「帰りました」と挨拶をする人がいるが、そんな気持ちだ。
本の正式な題名は「複成あせび会50年の歩み 希少難病患者と共に」だが、良い本だ。
私は、御殿場荘だけではなく、東京都文京区の事務局にも利用させてもらった。そこでは障害者数労支援B型の利用者との交流ができたし、近くにある六義園や「高齢者の原宿」と言われる巣鴨地蔵通りも見学した。
娘は成人し、「もう私は数値がよくなったのでITPは治ったと思う」というが、何だかこの本を読んでいると、胃を全摘し、糖尿病で食事が難しく夜起きることが多いので、遠方には外出していない最近の私だが、来年の御殿場荘の集いには参加してみたくなったな。懐かしい人たちと会うことができれば、良い影響が出そうな気がする。













