忙しかった十一月(2025年12月4日)
今日は十二月二日。新しい倉庫の建設が終わり、ほっとしている。十一月はいろいろあって忙しかったなあ。
「お宅の屋根の下の泥、落ちてきていて瓦が波打っているよ。直したほうがよいのでは」隣の家の人が言われた。見ると確かに雨の後など泥が隣の敷地に落ちていて瓦の列がゆがんでいる。
町内の建設会社の人に見てもらう。「屋根を治すのに三十万円くらいかかるが、この建物を使っているのか。古い建物だからまた屋根はおかしくなる。使わないのなら壊したほうがよいのでは」と言われた。「じゃあ壊しましょう」
壊すことになると、中の物品を処分しなければならない。工事は十一月から。妻と一緒に物品を府中市のクリーンセンターあるいは埋め立てセンターに運ぶ必要あり。と言っても我が家にトラックはない。軽四の箱バンで運ぶのでなかなかはかどらないし、大きなものは手に負えない。
処分していると、近所の人と共同で購入した食器(私の曽祖父の名前あり)皿海家の紋付・提灯など珍しいものが出てくる。また、私が子供のころは我が家の職業は下駄製造だったので、下駄を作る道具もいろいろ出てきた。のこぎりもいろいろ珍しい物あり。だけど処分しなければ置くところもない。クリーンセンターに持参すると「珍しいものですね」と職員さんが声をかけてくれる。四世代の物品の処分だ。大変だよ。
それでも努力していると、「十一月からと言っていたが、わが社は十一月になると忙しくなるので一週間早くから工事をさせてください」と言ってきた。「まだ荷物はありますよ」と言うと「うちに片づけるから『これはいる、これはいらない』と言ってもらえればよい」と言われた。「それでよいならお願いします」ということで工事が始まった。
私は月・水・金曜日は勤務があり、職場へ行く。それ以外の日は工事の方との話し合い。結構忙しかったり、気を使ったり。
そんな中、十一月中旬母が倒れ、新市町の病院に入院。肺炎ではないが、高熱が続いたので入居している施設の方が病院に連れて行くとそうなった。高齢者(九十七歳)が入院すると認知症が悪化しやすいというので、一日おきに面会に行く。行くと「天井ばかり見ていても退屈なので、眠ることが多い」と母は言う。これを聞くと忙しくても面会に行かざるを得ない。
そうこうしているうち、母は「自分でもよくなっている気がする」と言い、一週間で退院となり、施設に帰った。そうはいっても変わったことはないか、しばらくは施設に面会に行く。やっと最近落ち着いた。
墓地の移転も十一月。我が家の墓は本家の山の上にあったが、その山を買った業者から、「墓地は用意するから、お宅の墓地を移転してくれないか。あの山は購入したので、わが社で利用したい」と言われた。本家が売ったのであれば移転しようと思った。山の上では、私が盆・正月と彼岸前に掃除をして拝むくらいで他の家族は「坂が急なので私たちはいくことができない」という。
業者の用意した墓地は、駐車場からすぐそこ。駐車場から手を合わせて拝むことも可能。十一月の中旬、菩提寺の住職様に来ていただき、私と妻が参加して拝んでいただく。
倉庫の件だが、元の二階建ての倉庫は撤去することができた。だけどそのあとに小さな平屋の倉庫を建てる。そしてほかの土地は畑にして野菜や、花もいくらか植える予定。車が入らないところなので、他に利用法を思いつかない。
もともと、私が八十歳ころには「我が家をつぶして、平屋の小さな家を建てられたらいいよな」と妻と話し合っていた。子どもはいるのだが、出て行ったまま「帰らない」と言っているのだから、それがいいだろう。
十二月一日、職場から帰宅すると「明日で工事は終わります」と業者の方が言われた。ホッとする言葉だ。
裏の倉庫、古いので壊したかったが、工事用の車が入らないので「どうしよう、先でもいいかな」と思っていた。今回隣の人が「屋根を直したら」と言ってくださったので、隣の土地を利用して工事ができ「よかったな」と思っている。













