最新情報・ブログ

2019年認定 2020 ’Global Heroes of Hope’ の横顔

廣瀬哲也さん(RFLJ川越 ケアギバー)

*** マイストーリー ***

私は、東京女子医科大学、都立駒込病院で外科医としてがんの治療に携わってまいりました。出身地川越の病院に移り、がん検診や緩和ケアにも関わるようになりました。
しかし、早期がんの発見に役立つはずのがん検診率が、地元埼玉県ではいつまでも低迷したままであり、「家に帰りたい」「仕事を続けたい」という患者さんの思いが、なかなかかなわずにいる現況を目の当たりにし、何か社会の中で患者さんの役に立つことはないかと思っておりました。
そんな中、2009年にミクシィというSNSで「がんでもいいじゃん」という方たちと知り合いました。メンバーの人たちが日本各地で参加しているRFLというのは何だろうと思い、私も参加したいと連絡をしたところ、ちょうどその年からさいたま市と川越市で開催が始まることを教えていただき、RFLに関わるようになりました。
たまたま川越市の実行委員の中で、地元に住んでいるのが私一人だったため、実際のRFLを1度もみたことがないまま、初回の大会委員長として市役所や医師会、商工会議所などとの交渉に当たりました。
参考にしようと思って参加したRFL新横浜で、日本でRFLをやろうと最初に声を上げた三浦秀昭さんや堀均さんに出会い、「サバイバー以外で大会委員長をしたのはお前が初めてだ、日本のRFLはサバイバー自身がやむにやまれぬ思いで始めたが、でもケアギバーが俺たちサバイバーをたたえてくれるのが、本来のRFLの姿だ」との言葉をいただき、元気づけられたのを思い出します。
ケアギバーがサバイバーからHOPEをいただく、それもRFLの素晴らしいことなのだと感じます。
日本でRFLが始まった2006年から2007年前後は、まだサバイバーが「私は、がん患者」と言い出せる環境は日本には整っていませんでした。
つらく暗い夜を多くのサバイバーが過ごしていました。これまでもがん患者会、病院内のがんサロンなど、患者さんを取り巻く諸問題を語り合う場がなかったわけではありませんが、患者さん、ご家族、医療関係者などに参加が限られており、例えば、職場、学校など社会の中で患者さんを支えようという仕組みは、ほとんどありませんでした。
その様な中でRFLが始まり、「患者さんたちがサバイバーとして声を上げていいのだ」「どんな立場の人でもケアギバーとしてがんとの闘いのフロントラインに立てるのだ」ということを示してくれたことは、とても重要だと思います。
たとえ近親者にがん患者がいなくとも、医療に携わる仕事をしていなくとも、志さえあればサバイバーを支える輪の中に入れることは、いままで何かサバイバーの役にたちたいと考えながらも行動に移せず、じくじたる思いに駆られていた方々の後押しとなります。
まさに、RFLが、サバイバー、ケアギバー共に夜を乗り越える希望の光をともしたのです。
これからも、GHOHとしてRFLの活動発展のために、より一層取り組んでいきます。