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今までで一番、自分が誇らしく思えた日

2015年10月16日

36歳、大学教員として働く日々の中で突然に訪れた乳がん告知。周りの人には極力知られないように隠し、仕事もほとんど休まず治療を行いました。それから7年、「リレー・フォー・ライフにいがた」に参加して、初めて人前で語ることができた喜びを味わったと言います。

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閉会式後、参加者全員で。爽やかなお天気に負けない程、皆爽やかな笑顔です。

ひたすら走り続けなければならなかった30代。大学教員としての人生を歩んでいくためにとても大切な時期でした。そんな36歳の私に訪れたのは、突然の乳がん告知。右乳房にできた約3センチのしこり。リンパ節転移もありました。国民のふたりにひとりが生涯でがんになる、と知ってはいましたが、自分がまさかそのひとりになるとは、夢にも思っていませんでした。本当に悔しかった。

術前化学療法、手術に放射線治療・・・。特に抗がん剤の心身へのダメージは想像以上でしたが、それでも病気のことは必要最小限でしか周りに知らせず、仕事はなんとかやりくりをしてほとんど休みませんでした。病気であることで、自分の築いてきた、そして任されてきた役割が奪われていくことが怖かったのです。

抗がん剤の副作用で髪が全部抜けてしまった自分の姿は恐ろしくて直視できず、髪の毛が生えそろうまで、結局鏡を一度もみませんでした。そんな、受け入れがたい自分の姿をウィッグをかぶって隠し、がん患者であることがばれませんように、と祈りながら過ごす毎日。励ましてくれる家族や友人、知人はいましたが、前向きでいることを期待されているのが辛く、また、かわいそうだと思われたり、特別扱いされたくなくて、病気になっての想いを語ることはありませんでした。

それから約7年が経過し、がんであることが日常になってきて、そろそろ語ってもいいかな、と思い始めていた頃に、新潟でリレー・フォー・ライフが初めて開催されることを知りました。こっそりボランティアで参加しようと思い、実行委員会に連絡をしたところ、ボランティアじゃなくて実行委員になりませんか? そして、サバイバーズトークをしてみませんか? というお誘いがありました。イベントで語るということは、今まで病気について知らせていなかった同僚や学生たち、友人、知人にも知らせることを意味します。周りのまなざしが変わってしまうのは、正直怖い。でも、私ががんになったことで感じた生きづらさだけでなく、がんを経験した今だからこそわかること、語れる言葉が、誰かの心に届くかもしれない。そして、語ることで、自分も変わることができるかもしれない。そんな期待がサバイバーとして参加する原動力となりました。

リレー・フォー・ライフの主役はがんサバイバー。がん告知を乗り越え、生きていることを祝う。正直、最初はあまりピンときていませんでした。「主役」とか「祝う」とか大げさな・・・などと少し思っていました。サバイバーズラップを歩くまでは。

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がんサバイバーとして堂々と歩く喜びを知ったリレーウォーク。
私は先頭の左端。隣は、新潟で活躍するフリーアナウンサーで実行委員長の伊勢みずほさん。
彼女も乳がんサバイバー。

先頭の列で、手形とメッセージで埋めつくされたサバイバーズフラッグを手に歩きはじめると、前方にたくさんのカメラ。沿道には温かい笑顔と拍手。そして、目に入ってきたのは、同僚の先生方と学生たち。それを見たら、図らずも涙があふれてきてしまいました。がん告知から7年。まだ治療中だけれども、自分自身ががん患者だったのはもう過去のこと、と思っていました。でも、拍手で迎えられたとき、あぁ、私はようやくここに出てくる勇気が持てたんだという実感、その勇気をたたえ、祝っていただいた喜びに胸がいっぱいになってしまったのです。お世話になった病院の先生方と看護師さんたちも沿道で手を振っていました。辛い治療を乗り越えたことを自分のことのように喜び、祝福して下さっている姿を見て、どんなに多くの患者さんを抱えて忙しくとも、いつも心は寄り添っていて下さっていたのだということを初めて知りました。
 
サバイバーズトークでは、どんな治療を受けたのか、どんな病状だったのかということより、治療中に抱えていた葛藤について主にお話ししました。特に、がん告知されてから治療を受ける中で、母との関係がもつれてしまったことについて。「あんたは子どもを心配する親の気持ちがわかってない」。そう言われ、返す言葉はありませんでした。でも、私も必死だった・・・。多くの方が大きくうなずきながら、私の話に耳を傾けて下さいました。当日、母もその場にいました。母の前でも初めてする話でしたので、公開謝罪をしたようなものでしたが、イベントの力を借りて、少し前に進むことができたような気がします。

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サバイバーズトークの様子。

リレー・フォー・ライフで小さな一歩を踏み出すことができた私。この勇気というタスキを、他の誰かの一歩のためにつなげていきたい。こんな風に思えるまで、少し時間がかかってしまいましたが、そう思えた自分が、今までで一番誇らしく思えた日でした。

リレー・フォー・ライフから数週間がたったある日、とても嬉しいことがありました。私のサバイバーズトークを聞いて下さった方から、お手紙をいただいたのです。その方はリレー・フォー・ライフの一週間前に初めての抗がん剤治療を受けたばかり。体調が万全でない中、来て下さったその方からのお手紙には「言葉がスッと入ってきて、胸がキュンとなりあたたかくなり、ムクムクと何かが膨らんできて、前日までの自分とは違うことがわかりました。あの日以来、私の中で、何かが大きく変わりました」と書いてありました。誰かを慰めようとしたのではなく、自分自身の想いをトークで語っただけなのに、その言葉がこれほどまでに誰かを勇気づけることになったとは・・・。かえって私の方が元気づけられました。ひとことひとこと丁寧に紡いだことばがあふれるお手紙、ずっと大切にします。

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サバイバーズトークを聞いて下さった方からのお手紙。

私と同じように、勇気を出してリレー・フォー・ライフに参加して下さったサバイバーの方たち、治療中で体調が万全でないにもかかわらず頑張って来て下さった皆さん、心を合わせて共に同じ時間を過ごした実行委員の皆さんと、来年も再来年も、その次も、リレー・フォー・ライフで再会できますように。「また会いたい」。その希望、HOPEが明日を生きる力になると信じています。

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実行委員のメンバーと。このつながりができたことは、一生の宝です。
のぼりの可愛いライオンのイラストは、絵本作家で実行委員のエイキミナコちゃんが
描いたオリジナルキャラクター。ミナコちゃんもサバイバーです。

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プロフィール
五十嵐紀子  
1972年生まれ。新潟市在住。大学教員。専門はコミュニケーション学。
36歳のときに乳がんが見つかり、手術や抗がん剤などの治療を受け、現在もホルモン療法継続中。2015年新潟で初開催のリレー・フォー・ライフに実行委員として参加し、サバイバーズトークで、がんになった体験を初めて人前で語った。