2008年06月18日(水)
リレーコラム8人目は、前回想いを寄せてくれた山田泉さんの夫、山田真一さんです。患者家族としての心の変化や、泉さんへのメッセージをつづってくださいました。
今年の五月のゴールデンウークに久住の花公園に家族で行きました。
2000年1月31日
「やっぱり、悪性やった」と電話の向こうから聞こえてきたのは、普段どおりの口調で伝えようとしているが、いつもより弱く沈んだ妻の声だった。
14年前に結婚し、共働きをしながら、一男一女に恵まれ、マイホームも建て、順風満帆であった我が家の一大転機となった一言から9年余りが経った。
今、妻は抗ガン剤とモルヒネによる治療のため、副作用と闘いながら先の見えない日々を精一杯生きている。
今日まで我が家の生活は、妻の乳がんとともに歩み続けた。
振り返ってみると、妻の乳がん初発時、私は死の恐怖感や、当時中2と小6の子ども達の将来への不安が重くのしかかり、世界中で一番不幸を背負ったような気持ちとなった。その後、術後の回復と共にこの落ち込みは少しずつ解消され、日常生活を取り戻せた頃、がんは再び悪魔のように妻に忍びより、2005年9月に再発してしまった。
2005年 再発の手術直後。ベッドの上でピース。
再び手術。
術後の苦しい時でも、妻はベッドの上からピースサイン!などして写真を撮ったりする明るい性格である。しかし、私の方はなかなか立ち直れなかった。
再度、妻が家族を残して「死ぬんだ」と言う思いが脳裏を駆けめぐり、パニック状態となった。
更に、悪いことは重なるもので、義父のくも膜下出血による要介護状態、実母の脊椎間狭窄症による2度目の手術とリハビリなど、次々と降りかかる家族のピンチを一度に抱え込んでしまった。妻の退院後まもなくして、今度は私がこの重荷に堪えきれなくなり、「うつ病」となって入院してしまった。
私が入院すると決まった日、妻はこう言った。
「真ちゃん、この際ゆっくり休めばいいじゃん!今までずっと真面目に、働き続けたんじゃあき!」とニッコリ微笑んでくれ、私を支えてくれた。
再発による術後治療による体調の悪い中、一度は復職した妻であったが体力の限界を感じて、養護教諭として28年間勤めた学校を昨年3月末に退職した。
これまでの教材等を整理していたら、ダンボール箱の中から日々の保健室での生徒達とのやり取りや、授業での感想などをつづった「保健室日記」が、まるで玉手箱を開けたように出てきた。
「保健室での子ども達の声を残しておきたい」と10年間書き続けていた彼女の宝物である。
その中から、特に思いの深い実践をまとめ本を出版することになった。
まったく、彼女のパワーにはビックリ仰天である。本当に彼女の夢が叶うのか?と半信半疑だったが、5月にたちまち全国出版され、さらに1年経たないうちに2作目も出版。我が家にとって久しぶりの明るい話題だった。
久住の民宿のブランコで、ゴキゲンな真ちゃんです。(コメント&写真by泉)
保健室に来る中学生と泣いたり笑ったりした悪戦苦闘の日々の記録じゃなあ。ともに生きてきたものとして嬉しい限りだよ。
2人で冗談話によく「退職したら僕がカバン持ちするから、全国の子ども達に『性教育』や『いのちの授業』を伝えて行けたらいいよね!」と夢を語ったよなあ!
この1年間、少しばかり、この夢がかなったことに感謝しているよ。
この夢の続きを目標に、今後予想される厳しい闘病生活を家族で支え合い、命のかぎり・・・ともに生きて行こうと思ってるよ。
2008年5月18日 泉の医ゼミ東京講演会より帰宅の車中にて
夫 : 真 一
いちばん最近の写真です。大分出身の作家の松下竜一さんの四回忌で。
プロフィール
山田真一さん
大分県の出身 51歳。豊後高田市役所勤務。
9年前妻が乳がんの告知を受けて以来、息子や娘とともに、ずっと妻を支え続けている。
結婚して24年になるが「真ちゃん」「泉ちゃん」と呼び合う仲。最近は妻の講演活動を「かばん持ち」として引率。二人一緒にいる時間を大切にしている。